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#279_肉屋さんに並んだ食肉を見て、それが自分を切って並べたのと同じものという事実に、わたしたちは拒絶反応を覚えます。
わたしたちの世界は言葉で出来ていて、わたしたちの自我も言葉で出来ています。
言葉は意味を持っていて、意味はわたしたちにとって世界がどうあって欲しいか、どうあると安心出来るか、どうあると生きていけるかのような欲求をそのまま反映します。
わたしがわたしであり続けるために、わたしを隙間なく囲んで、自我があたかも存在するかのように感じさせてくれる意味を手離すことは、自分が存在するという概念を手離すことなので、このうえなく辛い、困難なことです。
言葉や意味によって作られた世界と、そうでない世界がある一点で触れ合って、矛盾して、その隙間から光が漏れることがあります。
たとえば、肉屋さんに並んだ食肉を見て、それが自分を切って並べたのと同じものという事実に、わたしたちは拒絶反応を覚えます。
なんのために、なにを拒絶しているのか?
拒絶するのをやめたときになにが起こるのか?
強く握りしめているそれをゆっくり手離すことでようやく向き合うことのできるリアル。