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#393_ヨガ中もそれでいいのではないか。だれかに見られるためのものではなく、自分に評価を与えるものでもなく、ただいらないものがいらないと気づく時間。
胸の前で合掌すると、その瞬間、とんでもなく呼吸がゆっくりになることがあります。
仏教やヒンドゥー教の社会では、胸の前で合掌しているひとに話しかけることはなく、胸の前で合掌しているひとは話しかけられることに対して準備をしている必要がありません。
そうしてはじめて、じぶんの外で起こっている、あるいはこれから起こることに対してあらゆる反応も準備もせず、コップの泥水がゆっくり沈澱するように、じぶんがゆ
#392_ひとつのポーズが終わって、心身がゆっくり静止に向かい、息しているだけで幸せな時間は、コップの水のさざなみが消えていく様子に喩えられます。
ひとつのポーズが終わって、心身がゆっくり静止に向かい、息しているだけで幸せな時間は、コップの水のさざなみが消えていく様子に喩えられます。
手に入れるべきもの、到達すべき状態は、そもそもいらなかったものがすべて離れていって、なんの揺らぎもなく、なんの揺らぎもないので満ち足りてしあわせな存在。
#391_練習の結果ではなく、我慢の時間でもなく、気づきや静かさがもたらす、呼吸のじゃまをするものが消えて、ゆっくりと現れる呼吸
ヨガを続けていると、ある日とつぜんびっくりするくらいゆっくりした呼吸が出てくることがあります。
大きな川の河口のような、すこし待たないとどちら向きに流れているかわからないくらいゆっくりした息の流れ。
練習の結果ではなく、我慢の時間でもなく、気づきや静かさがもたらす、呼吸のじゃまをするものが消えて、ゆっくりと現れるもの。
#389_そうして得られた心身の関係、あるいは自分との向き合い方は、人生を支える深い気づきにつながります。
両足を伸ばして座って、お尻の後ろに両手をおいて、小指の先どうしが触れるくらいに軽く腕を寄せて、呼吸が整うのを待ってから、お尻を持ち上げて、天井を見上げます。自分では見えませんが、踵から頭までが一枚の板のように平面。
このポーズをやりかたには二通りあります。心と身体との関係が二通り。自分との向き合い方が二通り。
ひとつめは、身体を緊張させて、お手本通りのカタチを再現するやりかた。パフォーマンスや
#388_その結末にそなえて、どんなにじぶんが正しくても、だれの不幸も求めない選択を
「肉親を殺された怒りも、長い年月をかけて小さくなって、やがて消えていきます」
「あのときあのひとが極刑にならなくてよかった、と思う日がやってきます」
「大嵐のように揺さぶられた心も、ゆっくり時間をかけて波のない水面にに」
「その結末にそなえて、どんなにじぶんが正しくても、だれの不幸も求めない選択を」
#387_「太陽礼拝とそのほかのポーズの違いはなんでしょう?」
「太陽礼拝とそのほかのポーズの違いはなんでしょう?」
「祈りと瞑想です」
「そうです。パフォーマンスではなく瞑想であるために、本人にしかわからない出来ごとがその目的になり、静止、止滅を完成形とします」
#387_
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#386_決して『ひさしぶりなのでポーズをやりにくい身体』という自分との向き合いかたではなく
ひさしぶりにヨガをするとほんと気持ちいいですよね
決して『ひさしぶりなのでポーズをやりにくい身体』という自分との向き合いかたではなく、ひさしぶりの温泉がとても気持ちが良いように、ひさしぶりなので気持ち良いと感じている存在としての自分。
#385_これは気づくことで進むしかないんですが「ゆっくり動いてポーズを作る」というときに
「これは気づくことで進むしかないんですが『ゆっくり動いてポーズを作る』というときに、『ゆっくり動く』と『ポーズを作る』のどちらがヨガの価値の部分かというと『ゆっくり動く』であって『ポーズを作る』ではありません」
『言葉によって規定された自分』を手離す手段としてのアーサナ。
#384_欲求が、だれかの利益のために作られていることはべつに悪いことではありませんが、満たし続けても永遠に満たされないとしたら
むかし、アメリカで、
『みんなが買える自動車』
が売り出されて、みんなが買って、
『欲しい人はみんな買ったからもう売れないね』
みたいになったときに、
『買った人たちも2台目が欲しくなるように、かっこいいモデルチェンジをすれば良いのでは?』
というアイディアを、
『そんなのうまくいかないよ』
とみんなが思ったのですが、予想外にとてもうまくいきました。
ぼくらの欲求は、だれかの利益のために作られた
#383_なにかをキライになることで、それから自由になることはありません。いらなくなって初めて自由。
なにかをキライになることで、それから自由になることはありません。キライになる必要さえなくなって初めて自由。
#382_「○分」みたいに答えて、それが「がんばって○分続けられるように」という意味になってはこまるなあ、と考えます。
「ひとつのポーズをどれくらいの時間やるといいですか?」
という質問には、
「○分」みたいに答えて、それが「がんばって○分続けられるように」という意味になってはこまるなあ、と考えます。
「納得するまで」
という回答はひとつの理想形。
#381_このふたつは、見た目は同じですが、なにが違うでしょう? どちらをしているのか、どうすれば区別ができるでしょう?
たとえば、こう、バランスのポーズをするとします。
チカラを込めてカラダを動かないように支えている状態は、そのポーズはヨガになっていないわけです。
カラダを支えるチカラを時間をかけてゆるめていって、そうしてヨガになっていきます。
このふたつは、見た目は同じですが、なにが違うでしょう? どちらをしているのか、どうすれば区別ができるでしょう?
「呼吸」
そうです。
#380_人間が自分を表すために作り上げたコトバは、生理的、進化論的な欲求によって色づきます。
人間はコトバで出来ています。
「手」「足」「眼」 etc.。
コトバは手や足や眼の実存を表すのではなく、周囲との恣意的な境界線を引くことで認識や思考、世界の構築を可能するものです。
人間が自分を表すために作り上げたコトバは、生理的、進化論的な欲求によって色づきます。
「こうあって欲しい」「こうじゃなきゃイヤだ」 etc.。
コトバによる境界線からも、欲求による認知の歪みからも自由で、過去