高橋ケ無

drums & electronics on Paris death Hilt…

高橋ケ無

drums & electronics on Paris death Hilton, divideperzero, SOUR, IIOT / DJ / drum solo / video art / 3DCG / collage / web design / nulldull

最近の記事

ソロアルバム発売に際して

2024年9月21日、「高橋ケ無」名義のソロアルバム「遺稿集 Collection of Underground Drum Breaks」を僭越ながらJazcraftsレーベルよりリリースさせていただきます。 内容はドラムとエフェクト、ほんのちょっとのサンプリングのみで構成されており、楽曲というよりはドラムブレイク集、サンプリングCD的な立ち位置にございます。 各種サブスクリプションでの配信は当然ながら、恐れ多くもCDもプレスさせて頂く所存。9月21日より配信スタート、ま

    • Mr.Bungleと私

      2024年2月28日、Mr.Bungle初来日。 Mr.Bungleとの出会いは衝撃的なものであった。 まだ10代の頃、今はなき大手CDショップにてアルバイトをしていた私に、仲の良かった上司が貸してくれたアルバムがMr.Bungleの1stアルバムであった。 1991年リリースの邦題「オペラ座の変人」である。 一応紹介しておくと、Mr.BungleとはFaith No Moreのご存じマイク・パットン御大が高校生の時(1985年頃)に結成したバンドである。そもそもマイク

      • ドラマーの悪夢

        普段あなたはどんな夢を見ているだろうか。 フロイトをいちいち引用するまでもなく、夢とは合理的な自我によって抑圧された無意識の浮上である。普段押さえ込まれた願望や欲求、ストレスといったものが願望充足として形成されたものであり、「夢判断」発表から120年経った今、もはや子どもでも知っている一般常識である。 しかしながらその夢が何を意味するかを分析するにあたっては注意点が必要である。特に夢とは一般的に内容がめちゃくちゃだったりストーリーが頓珍漢であることが多く、見た本人が起き抜

        • 音楽とAIの関係性について(2023年春現在)

          2023年春、AIについての話題が市井を席巻している。 特に文化芸術面ではChatGPTによる文章生成については言わずもがな、Stable DiffusionやMidjourney等による画像生成AIの恐るべき進化のスピードについては目を見張るものがある。 考えてみればちょっと前までは、AIによるチャットサービスはほとんど使い物にならず、予め決められた定型文を繰り出すだけか、バロウズのカットアップ小説みたいなおおよそ会話にならない内容がほとんどであった。 画像生成AIにつ

        ソロアルバム発売に際して

          吾が生や涯有りて、知や涯無し

           福島さんから電話が入ったのは、居酒屋で数人と酒を飲み、そろそろ頃合いだからお勘定を、と言い席を立ちだした時であった。ああ知らない番号だまた投資用マンションの勧誘かと思ったが、何もこんな深い時間にと思い直し、酒の勢いも手伝って電話に出てしまった。  「もしもし、福島の父です。」  「どちらの。」  「中学の時に高橋さんと同じクラスだった福島の父です。」  「はあ福島。すみませんけど下の名前は。」  「福島の父です。」  禅問答にも程があるやりとりを交わし、なぜ名前を言わないの

          吾が生や涯有りて、知や涯無し

          ドラムスティックにおける沈黙の春

          ドラムの使用済みスティックについて考察してみよう。 スティックをどのくらいで廃棄するかはドラマーによってかなり違いがあると思われる。少しでも削れたら新品と取り替える人もいれば、割り箸かというくらいまで細くなるまで使う人もいよう。 私は後者のタイプで、まあ一言で理由を申し上げると、ケチだからである。 どんな楽器にも必ずランニングコストはつきものであるが、ドラムにおける代表的なランニングコストといえばやはりスティック購入費である。1ペア(2本)で平均1200円といったところで

          ドラムスティックにおける沈黙の春

          ライフログと記憶の蓄積

          私は記録魔である。 昔から手帳にはじまり様々な手段で記録をとり続け、ITの発達に伴い各種アプリやネットサービスなどで記録を続けている。今風に言うところのライフログである。 私の夢は人造人間になることである。 人造人間になるためには、そらデータ化が重要でしょう、ディープラーニングのためのビッグデータ収集じゃ、ということで、自分の全てを数値化しアーカイブしておきたいのだ。 今までにとったログは以下の通りである。 毎日の体重/体脂肪率/体温/血圧など体組成データ 食事内容

          ライフログと記憶の蓄積

          飲酒によるオート帰宅機能

          今まで秘密にしていたが、私には「オート帰宅」という隠し機能が標準装備されている。 ルンバに代表されるロボット掃除機のあの機能を想像してもらえれば良い。 ミッションが終わり次第、勝手に然るべき位置に戻っていくあの機能である。 歳をとるに従い、酒をある程度呑み腐ると急に記憶を飛ばすようになってきた。 経験のない方には信じられないかもしれないが、居酒屋で飲んでいる途中の景色を最後に、翌朝自宅のベッドで起きるまでの記憶が一切なくなっているのだ。 「飲酒による記憶の喪失」は一般的

          飲酒によるオート帰宅機能

          一人旅処女喪失

          先日、函館に行ってみた。 なぜか。 病んだからである。 病んだ人は北に向かうのが定石であろう。 以前はたびたび地方に行きライブを行う機会があったため、旅情気分を味わうことができた。 しかしこのコロナ禍である。気づけば都内に引きこもる毎日。 加えて、何となく人疲れしたというか、普段他人へ気を遣いすぎているように感じ、誰も私を知らない所へ行きたかったのである。いや、別に都内でも十分誰も私を知らないんですけれども。 しかし誤解しないでほしい。私は旅が嫌いである。 面倒であ

          一人旅処女喪失

          芸術の存在証明と鑑賞者の介在

          芸術とは何か。 芸術、またはそれに類するものに関わる表現者、鑑賞者、批評者にとって共通の永遠のテーマであり、古代ギリシアから近現代哲学、果ては深夜の下北沢の居酒屋に到るまで、脈々と議論されてきた人類の命題である。 この命題は下手に展開すると美術分野に限らず心理学・認知科学・生物学・文化人類学等々へ拡がり、美とは何かだとか、ロゴスとパトスだとか、メディア論だとか、料理はどうだ、採点型スポーツは芸術なのか、町工場の金属加工だって芸術じゃないか、など論点の枚挙にいとまがないため

          芸術の存在証明と鑑賞者の介在

          花粉症黙示録

          今年もこの季節がやって参りました。 花粉症の季節でございます。 今でこそ天気予報で飛散情報が流れたりするようになり一躍国民病となった花粉症だが、私は花粉症という呼び名がまだ一般化されておらずアレルギー性鼻炎と称されていた頃からのヘビーユーザーであり、30年の花粉症歴を誇っている(マウント)。 花粉症、こと国内で圧倒的な罹患率を誇るスギ花粉症について少しおさらいしておこう。 日本におけるスギ花粉症患者の急増の要因としては、戦後、農林省(現:農林水産省)が水害の防止や国産木

          花粉症黙示録

          余白恐怖症

          余白恐怖症である。 たった今作ったばかりの造語であるが、要するに 「デザインやインテリアなどの配置においてなるべく余白を埋めたがる性分」である。 これはデザインでのホワイトスペース/ネガティヴスペースの扱いに限った話ではない。 例えば新しい本棚を買った場合、とりあえず全ての棚を埋めるために飾りたくもないオブジェを置いたり、誰も見ないのに本を面出しなんかして無理やり隙間を埋める努力をしてしまう。 音楽制作においても同様で、基本的に無音が耐えられない。 アカデミックな無調音

          余白恐怖症

          健康診断のすゝめ

          健康診断を毎年必ず受けている。 健康志向だからでも、注視すべき持病があるからでもない。 一年間の生活習慣や精神的ストレスによる体内への影響、加齢による各器官や組織の劣化、遺伝子変異の発現などを数値として表してくれる最高の機会だからである。 私はサイボーグになりたい。 サイボーグになるからには、自らのボディのデータ化は必須であろう。 新年が明けると、健康診断の時節である。 春の桜、夏の海、秋の紅葉、冬の健診である。 今更ではあるが、その素晴らしきセットリストをご紹介し

          健康診断のすゝめ

          仮面について考える

          小学生の頃、誰しも自分のキャラクターみたいなものをお持ちではなかっただろうか。犬だったり猫だったり、マンガのパクリみたいなキャラだったり。 私の場合、「鉄仮面」であった。 仮面を被った人間、ではなく、仮面そのものである。 思春期特有の痛々しい自己愛が転嫁行動として現れた価値観の暴走、という通過儀礼は私にももれなく訪れており、クラスメイトがファンシーなキャラクターデザインを昇華していく中、私はひたすら仮面を描いたのであった。 デザインのルーツとしては、デュマの「ダルタニャ

          仮面について考える

          読書という行為

          読書が好きである。 本を読むという行為は勿論、本という存在そのものが好きである。 単行本、文庫などは言うに及ばず、雑誌や新聞、辞書や自治体の広報誌、さらには通販のカタログや家電の説明書に至るまで、紙の集合体が好きである。 幼少期から欠かすことなく読書という行為を続けている。読みたい、とか、読まなきゃ、とかいう感情ではなく、ただ読書を続けている。 基本的に自分の知識レベルよりワンランク高い本を選ぶ。文系なのに数IIIの参考書を読み、よくわかんねえのにピンチョンを読み、全

          読書という行為

          執筆について

          文章を書くこと。それは私にとって途轍もないストレスを伴うものである。 よく「書いてストレスを発散してたもれ」「思いをうんぬん書くことでかんぬん」などとメンタルヘルス的な面で文章を書くことを推奨されるが、私の場合全くもって逆効果である。 とにかく、怖い。ミスが怖い。 言い回し、誤用、「てにをは」の間違いなどがとても怖い。それを指摘されるのが怖い。 表記ゆれや、漢字をひらくか否かも気になって仕方がない。 仕方がない、なのか、仕方が無い、なのか、しかたがない、なのか、しょうがな

          執筆について