ドラマーの悪夢
普段あなたはどんな夢を見ているだろうか。
フロイトをいちいち引用するまでもなく、夢とは合理的な自我によって抑圧された無意識の浮上である。普段押さえ込まれた願望や欲求、ストレスといったものが願望充足として形成されたものであり、「夢判断」発表から120年経った今、もはや子どもでも知っている一般常識である。
しかしながらその夢が何を意味するかを分析するにあたっては注意点が必要である。特に夢とは一般的に内容がめちゃくちゃだったりストーリーが頓珍漢であることが多く、見た本人が起き抜けに意味がわからず頭を抱えることなど珍しくもない。
無意識(=潜在内容)が夢(=顕在内容)として発露されるにあたっては、「圧縮」(意味が簡略化される)→「移動」(本質が中心からずれる、または些細なことが中心となる)→「象徴化」(抽象的なイメージが視覚化される)などの加工工程を経て、さらにそれを「第二次加工」(合理的に無理やりストーリー化する)してアウトプットするため、シーンが大幅にカットアップされたり、大きなおじさんが出てきたりするわけである。
ともあれ、夢とはガルシア・マルケスもかくやというほど思いも付かない情景描写をするから面白い。
さて、不肖私めは一応ドラマーであり、いわゆる悪夢の類いはドラムにまつわるものがほとんどと言って良い。ライブなどが立て続くと毎晩悪夢にうなされることが多く、しかしながらその内容は空を飛んだりネコがしゃべったりみたいなファンタジックなものはなく、かと言って口の中が歯でいっぱい、とか人類全員皆殺し、とかグロ要素も皆無である。
私の悪夢の基本シナリオは以下の2点である。
・本番開始直前なのにセットにたどり着けない
・機材が見つからない、または謎の機材しかない
具体例を挙げていこう。
非常にわかりやすい内容といえる。専門家の力を借りずとも、不安や焦燥感、方向性の迷いなどが見てとれる。こんなものは屁でもない。
ステージにスティックの代わりはあるだろうし、さっさと捨てりゃあいいのに葛藤するあたりが夢たる所以である。自分の真面目な性格があだとなる一例である。
これは声を上げて飛び起きた記憶がある。公衆の面前に立ち期待の目に曝されながらも確実な失敗が待っているという地獄を端的に表現できている。
ここでも人の好意を無下にできない性格がよく表現されているが、おそらく本件で重要なのは巨大なバスドラではなく、「誰も手伝ってくれない」という点であろう。分析の方向性を少しでも誤ると、「巨大なバスドラ=巨乳への憧れ」みたいな訳のわからない結論を導き出してしまうことに留意すべきである。
そろそろお気づきであろう。ここまでのほとんどが、「自分の失敗のせいで」ではなく、「誰かが用意した機材のせいで」「スタッフの異常なセッティングのせいで」と、第三者の介在による想定外の事件、という点で一貫している。いかに他人を信用していないかが顕在化しているのと同時に、「これはオレのせいじゃない」という責任転嫁、自己弁護、保身といったクズ要素も感じられる。
また興味深いのは、「曲がわからない」とか「演奏のミス」といったシチュエーションが全く登場しないことである。というか、夢の中で楽器を演奏できたことがない。おそらく音楽的な不安要素はあまり持ち合わせておらず、それを実行するためのツール(楽器やその周辺環境)に不安を感じていることがうかがえる。
まあドラムなんて演奏スキル2割、セッティング8割みたいな楽器であるから、あながち間違ってもいないであろう(暴論)。
妙にリアルであるが常識的には実現性の低いシチュエーションばかりなので、予知夢とかデジャヴとかの類いから距離を置けているのは幸いだが、現実的な夢とは非現実的な夢よりも疲労感が激しい。
ドラムとは関係がないが、以下のような夢もたまに見るので紹介しよう。
この夢が通称「エンドレススヌーズ」であり、私の精神を凄まじく破壊する作品である。非常に疲れている時などに見がちであり、最大4ループ(現実を含めると5回)を経験している。
ちなみに何回も鳴る目覚ましを毎回止めて寝ているだけなんじゃないの、と疑う声もあろうが、毎回画面の時間が「8時00分」であることが、現実ではなく本当に夢であるという証左となっている。
この夢の興味深いところは、最後には現実で本当に目覚まし機能を止めているので、夢で見たとおり本当に目覚まし機能をオフにするのを忘れているという点である。つまり、休みなのにも関わらず目覚まし機能をオフにしていないことを無意識下で自覚しており、それが夢に現れているという点。
人間は普段忘れたと感じていることについて、本当に忘れているわけではなく、無意識の奥底できちんと認識しているということがこの夢によって証明できるわけだ。
…と冷静に分析できるのは今起きているからであり、この夢を見た直後はものすごく疲弊し、今は果たして現実なのか夢なのか不覚、というわかりやすくヤバい状態になるので、できれば見たくないなあと思いつつ、もしかすると本稿を書いていること自体が夢なのでは、と。
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