見出し画像

一人旅処女喪失

先日、函館に行ってみた。

なぜか。

病んだからである。
病んだ人は北に向かうのが定石であろう。

以前はたびたび地方に行きライブを行う機会があったため、旅情気分を味わうことができた。
しかしこのコロナ禍である。気づけば都内に引きこもる毎日。
加えて、何となく人疲れしたというか、普段他人へ気を遣いすぎているように感じ、誰も私を知らない所へ行きたかったのである。いや、別に都内でも十分誰も私を知らないんですけれども。


しかし誤解しないでほしい。私は旅が嫌いである。

面倒であるからだ。
交通機関や宿泊施設の予約、慣れない土地の位置関係の把握、豊潤な食文化の中から限りある食事の選択、観光客を襲う数多の名産品の中からの土産物の選定。
上着は必要か、カバンはどれだ、遅刻できない空港、ホテルにアメニティは、ああ、とにかく面倒くさい。家にいればそんなストレスはない。

そういう訳で、私は人に諸々先導してもらって渋々旅をしてきた。
海外に長く住んでいた関係で国内・国外共に踏んだ土地は多いのだが、それに伴う事務的な手続きが何もできない。


しかし冒頭の如く、私は一人旅を決心した。
したからには完璧を目指す。失敗は許されない。
時間がなかったから何処其処に行けなかった、なんてのはもってのほかだ。

そのためには、ハードルを下げておくべきだ。

まず、日取りは一泊二日。
二泊以上すると失敗する確率が格段に増える。
特に食事には気をつけなくてはならない。食べてみたが口に合わなかった、行ってみたら閉店していた、量が尋常じゃなかったなど、食事は失敗エピソードの常連である。
一泊二日ならば、食事は多くても5回。選択肢はある程度絞ってしまった方が良いのだ。

次に、行き先である。
今回は一人旅をするという行為のみが目的のため、場所は正直どこでも良い。コロナ禍であることも踏まえ国内に限定し、初心者なのだからベタな行き先にしておこう。
しかし「旅感」を出すためには、新幹線や飛行機などに乗ってある程度遠出する必要があろう。日光や箱根あたりでお茶を濁してはならない。
かと行って、京都は駄目だ。見るべき場所が多すぎると捌ききれずとんでもないことになる。
石垣島や宮古島あたりも私にはまだ早い。南の島は旅の達人の行くところである。
そうなると大阪や福岡、札幌あたりの都市でも良いが、つい知り合いに声をかけ居酒屋を飲み歩き駐車場で爆睡、なんて都内でもできることになりそうだ。知り合いが住む土地も避けておこう。


そういうわけで、函館。

有名どころがコンパクトにまとまっており、都内から飛行機で直通、現地の移動も電車とバスのみでお気軽。幸い知り合いも住んでいない。
そして先述の通り、病んだ人は北に行く。完璧である。

かくして私は一人函館へと飛ぶことと相成った。


ずるずると書いてきたが、こちとら大の大人である。今時事前のネット予約は当たり前、現地でも電子マネーやQRコードの普及発達により観光旅行の難易度は以前よりも格段に下がっている。
昔と違ってGoogleマップがあるし、店の評判や交通機関の時刻表もその場で調べられる。

文明の利器のおかげで、中学生の修学旅行の如く五稜郭やら教会群やら赤煉瓦倉庫やら函館山やらのベタ且つ完璧なコースを分単位で決めておき、一切の無駄なく動く。


しかしそれが災いした。

事前に完璧なタイムテーブルを組み過ぎ、真面目に効率よく名所を回った結果、時間が余りまくってしまったのだ。
乗り込む電車やバスなどはおろか、綺麗そうなトイレの場所まで事細かに下調べしその通りに動く私は、もはや意思のない過去の駒。
ゆったりした休日とはどこへやら、丸の内で電話しながらタクシーを止めるサラリーマンさながら背筋を伸ばし早足でキビキビと無駄なく動き、結果、トラブル用に残しておいたバッファ2時間がまるまる余ってしまう始末。
あらかた行って満足してしまった私は、カトリック元町教会にふらふらと赴きフランダースの犬のネロの如く流れる讃美歌を聴きながらただぼーっと小一時間座り、神のことを思うのであった。


世の中には必要な無駄もあるということか。

やはり旅には伴侶が必要かしらんなどと思って教会を後にしたが、そも急に教会でネロ化したり、ホテルで地元名産の酒を浴びる程飲んだ結果、折角のでかいベッドを無視して床で寝込んだり、朝食バイキングが有名なのに二日酔いで全然食えなくても怒られなかったりするのだから、やはり旅は一人が良い、という結論に辿り着き、次は長崎あたりかしらんと沸々と思いを馳せるのであった。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?