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ライフログと記憶の蓄積

私は記録魔である。

昔から手帳にはじまり様々な手段で記録をとり続け、ITの発達に伴い各種アプリやネットサービスなどで記録を続けている。今風に言うところのライフログである。

私の夢は人造人間になることである。
人造人間になるためには、そらデータ化が重要でしょう、ディープラーニングのためのビッグデータ収集じゃ、ということで、自分の全てを数値化しアーカイブしておきたいのだ。

今までにとったログは以下の通りである。

  • 毎日の体重/体脂肪率/体温/血圧など体組成データ

  • 食事内容(品目、カロリーなど)

  • 家計簿

  • 読んだ本、聴いたCD/LP、観た映画とその感想

  • 本に関して、気になる文章やキーワードの引用メモ

  • GPSログ、および地図上でのプロッティング

  • 万歩計による歩数

  • サイコンによるクロスバイク記録(積算距離など)

  • ランニングログ(距離、時間)

  • ジムでのトレーニング内容(種目、負荷量など)

  • 楽器購入金額、および所有楽器のシリアルナンバーなどの記録

  • ライブなど公演の日付/場所/曲目の記録

  • フリマサイトでの商品売上管理(日付、収支、カテゴリーなど)

他にも忘れているものが多々あろう。
こう列挙するとなかなかの量だが、近年のスマホアプリの進化は目まぐるしいものがあり、その場での簡易入力、もしくは自動ログ取得のおかげで、帰宅後に一日の記録をとったりする時間が不要となり、一層記録癖が進行されていった。

歩数の記録などは非常に爽快である。
常に万歩計を持ち歩き、その歩数から算出した積算距離を世界地図に当てはまることによって、東京から西回りでヨーロッパ最西端のロカ岬に到達した、あの時の感動は忘れられない。

また、「本+CD/LP+映画」の読了数総計が500を超えるごとにちょっといいワインを飲むといった謎の催しを開催してみたり、ライブの曲目とギャラの関係を重回帰分析にかけニヤニヤしてみたりと、データの蓄積は日々を潤す格好の材料である。

考えてみれば毎年の健康診断なんて自分の状態を客観的に評価できる素晴らしいシステムであるし、家計簿をつける/つけないでは資産形成に関して大きく変わってくることは明白であり、みんな大なり小なり何かしらログをつけているのではないだろうか。
写真を撮りためてアルバムにしたり、毎晩ポエトリーな日記をつけたりだとかも、立派なライフログの一種といえる。
データの蓄積は記憶の蓄積であり、忘却への反抗である。ベルクソンで言うところの純粋記憶の顕在化であろう。



このようにデータ化が大好き、アタシ将来データのお嫁さんになるの、の私であるが、実は前掲のログリストのうち、数点は既に記録をやめてしまっている。
記録に対する巨悪の権化は三日坊主であるが、私の場合はまあ、やはりというか、酒である。

まず、肌身離さずポケットに忍ばせていた万歩計を、居酒屋で落とし、なくす。

余談だがそもそも、万歩計とは非常にセンシティブなガジェットである。
スマホの万歩計アプリより高機能なため正確な歩数をカウントするにはまだまだ必須であるが、例えばちょっとコンビニに行こう、なんて時もわざわざ持ち歩かないといけない。100歩程度でも歩いたことには変わりないのだ。

ストイックになればなるほど、どんどん底なし沼にはまっていく。
「家の中でも歩いているぞ」と思い、寝るまで持ち歩く必要が出てくる。
一方で、自転車をこいでもカウントされるが、これは厳密には徒歩ではないので除外しなくてはならない。
私はドラマーなので、ドラムを叩く時も当然ポケットから出さないと、座っているだけなのに気が付いたら一万歩を超えてしまう。
貧乏ゆすりなど最たるNG行為である。
完全に万歩計のために歩くようになり、逆に言えば万歩計がない場合は一歩も歩かなくなるという本末転倒な現象が起こる。

こうして私は、酔った際に万歩計をなくしたのを契機に長年続けていた歩数計測をやめた。ロカ岬の先の大西洋海上にて沈没である。


次にやめたのは食事内容の記録である。
居酒屋でつまんだ大皿料理の正確なカロリー数がわからない。というか、酒が進むともはや何を食べているのかもわからない。
飲み物も分量を記録せねばならないが、
え、大ジョッキって何ml?
は?テキーラのショットのカロリー?
みたいな曖昧な状況に陥ることが多くなり、正確に記録したい私には多大なストレスとなり、投げてしまった。

家計簿も同様である。
深夜の居酒屋の割り勘の金額など記憶があやふやだし、クラブで「一杯おごるよ~」なんて気前の良さを発揮した直後にスマホに金額をちまちま打ち込むという、器が大きいんだか小さいんだかわからないという自己矛盾に陥っていく。



「マメさ」と強迫観念は表裏一体である。
無理なく続けることが何においても肝要であるといえよう。
細かいことを気にせず、大雑把に楽しくやっていこうじゃないか―。

そう思っていた矢先、外部からの強力な焚き付けが発生した。
そう、年末に行われるSpotifyのまとめである。

音楽サブスクリプションサービスSpotifyでは、毎年年末に各ユーザーの年間聴取履歴が自動で配信される。一年間に総計何曲聴いたとか、どのジャンルを聴くことが多かったなどが集計され、ユーザーの一つの楽しみとなっているのだ。

一年目は良かった。「おお、こんなに聴いたか」で終わるからだ。

問題は二年目からである。
総再生時間が前年より減っている。

「再生時間が減った」=「音楽への情熱が減った」と解釈してしまった私は、今年の再生時間前年比2割アップを目標に、余暇があれば音楽を垂れ流し、何だったら一晩中ランダム再生し再生時間をひたすら稼ぐという不正行為すら行いはじめ、ああまた本末転倒。


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