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吾が生や涯有りて、知や涯無し

 福島さんから電話が入ったのは、居酒屋で数人と酒を飲み、そろそろ頃合いだからお勘定を、と言い席を立ちだした時であった。ああ知らない番号だまた投資用マンションの勧誘かと思ったが、何もこんな深い時間にと思い直し、酒の勢いも手伝って電話に出てしまった。
 「もしもし、福島の父です。」
 「どちらの。」
 「中学の時に高橋さんと同じクラスだった福島の父です。」
 「はあ福島。すみませんけど下の名前は。」
 「福島の父です。」
 禅問答にも程があるやりとりを交わし、なぜ名前を言わないのか、いまだ性別すらわからない「福島」なる人物が果たして実際にいたのか、使わなすぎて奥深くに眠る記憶の引き出しを探っていると、
 「渡したいものがあるのです。お送りしたいので住所を教えてもらってもいいですか。」
 どう考えても詐欺である。今に銀行口座だとか暗証番号だとかを聞き出そうというのだろう。若干食い気味で「いやです。」と答えると、
 「ではよろしくお願いします。あ、すみませんがこのことは内密にお願いしますね。」
 と一方的にまくし立て、電話を切ってしまった。結局住所も聞かず、何をよろしくされたのか全く理解できなかった私は、最近は随分変わった電話詐欺もあるのだなあと半ば感心しつつ、電話中であったことをいいことに飲み会の会計から逃げ、友人のそしりを受けながら帰路についたのであった。

 小さなダンボールが自宅に届いたのはそれから一週間ほど経った後であった。何も購入した記憶はないがと思い送付状を見てみると、差出人は鹿児島県姶良市の、「福島」。例の福島さんであった。
 戦慄が走る。私は福島さんに現住所を教えていない。なぜ届いたのか。
 もう一度差出人記入欄を眺める。名字だけなのも妙だが、そんなことよりも姶良市に私は何のゆかりもない。行ったことがあるどころか読み方さえ「あいらし」か「ごうらし」か不覚なくらいである。当然姶良市の中学など通った経験もなく、いよいよ訳が分からない。
 さて、この梱包を解くべきだろうか。解かずに廃棄したり、警察に届けたりと選択肢は用意されているが、そこは好奇心である。好奇心は人類を進化させてきた一つの要因であるとダーウィンも言っている。まさか人間の頭部や炭疽菌は入っていないだろうと正常性バイアスが機能し、カッターを持ちだし恐る恐る開けた。

 中には赤い表紙の古びた洋風の日記帳と、これまた擦り傷が激しいA4のノートが入っていた。どちらも長い間放置されていたことがうかがえ、日記帳は触ると表面のビニールが風化して剥がれ落ち、ノートは綴じ糸がすでに切れページをただ挟みこんでいるだけの状態であった。

 おそらく購入当時は豪奢であったであろう日記帳を開いてみると、凄まじい殴り書きでほとんど判別できない。インクがにじみ色あせているのも手伝って、ダイアリーというよりもはやヴォイニッチ手稿である。数十年間封印され、かびが舞い上がるようないやな臭いを感じ、数ページを眺めてそっと閉じた。唯一認められた文章は、「妻によると、『私はカトリーヌ・ドヌーヴにはなれなかった』」。

 同梱物である古びたノート、というよりは古紙の集合体に目を移すと、表紙に小さな付箋が貼ってあることに気がついた。比較的新しいものであり、おそらく福島某の父によるものだと察せられた。書いてあった文句は「音楽をやっていらっしゃるとお聞きして」。私へのメッセージであろう。
 開いてみると、先ほどの日記帳よりは視認性のある文字で、びっしりと文章が埋まっている。読んでみると、どうやら昭和の演劇家、吉田英敏(えいびん)による自伝も兼ねた演劇論であることがわかった。自身の生い立ちや周辺の人物の紹介が詳細に書かれ、後半は演劇とは何か、肉体芸術とリアルタイム性が云々と熱い言葉が論じられており、確かにこれは役に立つかもしれないと思った私はノートを保管し、一方でかび臭い日記帳はそのままダンボールにしまってしまおうと思い、そこで気付いた。

 日記帳の裏表紙に、小さな文字でパスワードが書いてあるのである。アルファベット4文字に続いて数字4桁。一体何のパスワードなのだろうか。ただの型番や商品番号といったものとも思えるが、何かしらをダウンロードする際に使用するものだと直感でわかった私は、念のためメモをしておき、元のダンボールに日記帳をしまい込んだのであった。



以上が本年の初夢の全貌である。

これは何かの天啓である。神のお告げである。

そう感じた私は起床後5秒で上記内容をメモ。
(ちなみに夢日記をつけることはユングの分析心理学では深層心理を探ることができる一つの手法であると解釈されているが、一方で明晰夢の原因となり夢遊病や認知症の原因となるとも言われているため私は念のため避けている、しかしこの場合はやらないでか、である)

次に早速「吉田英敏」の演劇論について調べてみた。当該の書物は刊行され、手に入るのか。専門書はあるのか。ウィキペディアを見てみるか。

そんな奴いねえじゃねえか。

謎の演劇人はおろか福島なる同級生も、さらに言えば最初に居酒屋で飲んでいた友人すら赤の他人で、すべて投げっぱなしで終わりモヤモヤしたまま、まあ夢なんてそんなもんだろうと思いまた迎え酒をすするのであった。



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