【書評】教育「実践部門」最前線の仕事とは?〜『学問としての教育学』を読んで〜
「教育とは何か。どうあれば『よい』教育と言えるか」という問い、そして「どうすれば『よい教育』を実現できるのか」という問いに対して”答えを出すための方法”(メタ理論)が明確に示された一冊でした。
私は教職大学院の出身ですが、大学院時代、最初にこの本を読めていたら、もっと意味のある2年間を送れたのではないかと思いました。
〈この本から学んだこと〉
1.教育研究の3つの部門
教育学には3つの部門があるそうです。本書では「哲学部門」「実証部門」「実践部門」と呼ばれていますう。
哲学部門が明らかにした目的に向けて、実証部門が各分野で有効な理論を構築し、実践部門がそれを具体化して実行する、といった役割分担です。
自分がこのうち、実践部門に立っていると知れただけでも、私にとっては大きな収穫でした。
2.相対主義に陥らないために
すべては相対的であり「絶対に確かなものなどない」という相対主義の考え方によって、教育の目的を明らかにすることができなくなってしまいました。
それを乗り越えようとしたのが「現象学」です。
現象学は、私が「こう認識した」という「確信(意識作用)」だけは疑えないと考えます。
そしてその「確信」を絶えず他者と確認し合うことで、客観的な「真理」ではなく、主観的な「確信」の「共通了解」を見出すことを目指します。
「みんなが大切だと思っていることはなんだろう?」と確認し合うということでしょう。
3.人間存在の目的は?〜教育に進む前に〜
現象学で考えたとき、人間は何を求めていると「共通了解」できるでしょうか。
著者はまず、人間を「欲望的存在」と位置付けます。しかし欲望は簡単には満たせないために、人間は「不自由」を感じます。
このことから、人間は欲望的存在であるがために「自由」を求めているのだと「共通了解」できると言います。
なおこの「自由」とは、客観的な「状態」ではなく「今、自分は自由だ」と感じる「感度」のことです。「我欲する」と「我なしうる」の一致が、この感度をもたらします。
4.だから「自由」が教育の目的
人間が自由を求める以上、お互いの自由は対立し、争いが生まれます。結果、誰も自由になれない社会ができあがってしまいます。
そうならないためには、お互いがお互いの自由を認めることが必要です。
そのために必要なのが、まず「法」。そしてその法を実質化するための「教育」です。
このことから、各個人の自由の実質化と社会における自由の相互承認の実質化、これらが教育の本質だということになります。
「我なしうる」の拡大と、他者の自由(多様性?)を尊重する感覚を身につけさせるべきだということでしょうか。
5.教育を「科学」にする
現象学で「よい教育」を考えたとしても、そこには多くの「共通了解」が生まれてしまいます。
それはなぜか。見ている条件が違うからです。
条件の統制が困難な教育では、研究者の欲望・関心・目的がデータや解釈、理論構築に強く反映されがちです。
そのため、まずは目的が「自由」に繋がっているか確認すること、そして、理論の構造化に至る諸条件を明示することが必要だと言います。
これは大学院時代に散々悩んだ問題でした。それこそ相対主義に陥り、内心「結局何も明らかにはできない」と思っていました。
あの頃この考え方を知っていたら、もっと真剣に研究にも取り組めたかも…と後悔しました…
6.実践部門のあり方
前提として「あらゆる実践の方法に、絶対に正しいものなどはない」ことを挙げます。
実践方法は目的と状況に応じて使い分ける(新たに作る)べきだということです。
逆に言うと実践方法は、それが有効となる条件(目的・状況)を明示しないといけないということでもあります。
また「新たに作る」には、アブダクション(閃き)が大切だと言います。
明確に理論化されていなくても、「こんな方法が良さそう!」と新たな方法を作成・実践してみることが大切だということでしょう。
もちろんそうして作られた新たな実践方法は、実証部門によって有効性の検証を改めて行い、より有効な方法の開発へとつなげていくことが大切です。
つまり、研究課題の提供が、実践部門の最大の仕事だと言えるかもしれません。
7.実証・実践部門における3つの問い
(1)各人の〈自由〉および社会における〈自由の相互承認〉を実質化するための〈教養=力能〉は何か。
(2)それはどうすれば育めるか。
(3)〈一般福祉〉(すべての人の自由)を促進しうる教育政策はいかなるものか。
この3つの問いが、実証・実践部門の上位目的だと言います。これを読んで、自分が今後考えるべきことが明らかになったように感じています。
〈この本を読んで考えたこと〉
教育「実践部門」の最前線にいる私達教師の仕事は、目的と状況に応じて、アブダクションを駆使しつつ効果的な実践方法を編み出すこと。
理論的な有効性の検証は(やらなくていいわけではないが)、実証部門の仕事。
この2つを切り分けられたことで、自分の頭の中がかなりクリアになりました。
大学院時代に言われていた「理論と実践の往還」という言葉が、ようやく腑に落ちた気がしています。
〈まとめ〉
教育は〈自由〉の実質化のためのもの。ではそのためにどのような〈力能〉が必要か。ではその〈力能〉を身につけさせるためにはどうしたらよいか。
この問いには、多くの答えがあると思います。では、中学校社会科教師の僕が伝えるべき〈力能〉は何で、どうすれば(どのような授業をすれば)身につけさせられるか。
このことについて、今後の実践の中でさらに考えを深めていきたいと思います。
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