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「生徒が話を聞いてくれない」「授業中に寝ている生徒が多い」「好き勝手なことを始めてしまう子がいる」…こんな悩みを抱えた先生はいらっしゃいませんか?本稿は、授業を「する」ための技術を6つにまとめた「授業技術の教科書」です。お読みいただければ、最低限の「普通の授業」ができるようになり、冒頭のような悩みが少しだけ減るはずです。
乱を起こす程の民族でなければ頼むに足りないが、いたずらに乱を思わせる政府というのは大方向をもっていない政府である。(翔ぶが如く1より、西郷の言。) これは学級経営の真髄でもある。反抗するようなパワーはそのままに、パワーの行き先を正してやることが担任の仕事。乱を潰すことではない。
つまらない研修ほど無駄な時間はない。なぜつまらないと感じるのか?自分で選んだ研修じゃないから。受けることに納得感がないから。研究授業する側もしかたなくやってるから。 これじゃ時間も交通費も無駄では?無駄な研修に出るより生徒のために時間を使いたい。上の考える優先順位は絶対おかしい。
人はどんなときに「学習しよう」と思うだろうか。「困った」と感じたときではないだろうか。 もうすぐテストがある。このままだと良い結果が残せないぞ。困った。どうしよう。そうだ勉強しよう。 どうも仕事がうまくいかない。困った。どうしよう。そうだ研修に参加してみよう。 いくらNOTEの記事を書いてもスキが伸びない。困った。どうしよう。そうだ文章の書き方の本でも読んでみよう。 こんなふうに「困った」と感じたときにこそ、人は自発的に学習しようと思うのだ。 しかし学校は、生徒に「
違う。ちゃんとしてほしいんじゃないんだ。「尊敬される先輩になれ」っていうのは、「先生の言う事を聞いて、ルールを守るイイコちゃんになれ」ってことじゃない。むしろ先生にも言いたいことは言って、よくわからないルールには反論して、自分の意志をもって動ける人になってほしいんだ。
①教えて考えさせる授業、②まとめてから考えさせる授業、③教えない授業。中学校社会科としてどのような授業が良いのか。入試まで考えると知識の説明は必要ではないか?中学生が自ら教科書から読み取れることには限界があるから、こちらが資料を提示してより深い知識を伝えてやるべきではないか?
意思を持てるようにすること。今の世の中ではこれが一番大事だと思う。aiが発達した今、aiに使われる人になるか、aiを使う人になるか。その境目は「こうしたい!」という意志の有無ではなかろうか。
「聞いたことは忘れる、見つけたことは使う」あえてステレオタイプな知識を教えることで、その後の”発見”の機会を作る。「なんだ違うじゃん!一概には言えないじゃん!」と自分で気づくことで、「もっと調べたい」とか「解決のために力になりたい」という意欲や行動に繋がる。正確さは重要じゃない。
「自由」を重んじた上でなお、「助け合うことは素晴らしいこと"ではないだろうか"」と"説得"する。そうすることで、自由の中で助け合いを"選択"する、強くて優しい自由主義社会が実現する。"説得"こそ最重要の教育技術。もちろん洗脳になってはいけない。そこには職業倫理が求められる。
イデアなど存在しない。存在していたとしてもそれを知覚することなどできない。だから大事なのは「なるほどそうだ。納得できる」となるべく多くの人に思わせる説明である。またそれに基づいた共通了解である。だから子供には「なるほどそうだ。」と思わせられるだけの説明力を身につけさせたい。
絶対だめなのは指導目的のベクトルが自分に向くこと。目的が「ちゃんと指導してると思われたいから」とか「生徒からなめられたくないから」とかになってしまうと、「よくキレるウザい先生」になってしまう。結果、生徒にはなめられ指導が入らなくなる。指導はあくまで生徒の成長のために。
「忙しい」は心を亡くすと書く。忙しいと心が死んでいくということだ。心が死んだ状態で、生徒に何を教えられるというのだろう?仕事が多くても「忙しい」ではなく「充実している」なんて思えるようになりたい。 そして上には、教員の心を殺さないように仕事を減らしてほしい。
大切なのは緩急。160kmhの豪速球がなくても、140kmhのストレートと90kmhのカーブの組み合わせで勝負できる。普段は笑顔で褒めてくれる先生が、いきなり真顔で叱るから怖い。強面でよく怒鳴る先生がいきなり褒めてくれるから嬉しい。自分がどのタイプで行くか、自分で決めるのが大事。
生活指導は事実(行動)と感情を分ける。まずは感情を吐き出させて全部受け止める。自己中でも理不尽でも責めない。「感じたこと」は徹底的にその子のもの。思想の自由。その後、事実(行動)の悪かった部分を確認する。悪かった部分とは、他者の自由を侵害した部分。他者の自由を侵害する自由はない。
生徒たちの中に「もやもや」の残る授業が良い授業だと思う。「もやもや」g残れば、授業の後も考える。「すっきり」わかって終わりの授業では、その後に繋がらない。 ↑これが実感なんだけど、こう言っている教育研究者の本はありませんか?
市民性とは何か。自らの属する社会について語れることである。市民性はいかに身につくか。社会について語らせることである。「こうがよい、こうしたい」という希望があるからこそ、それを実現するための行動を起こせる。行動を促す指導をしたら、行動には移さない。
聞く:音を耳に入れる。聴く:注意深く考えながら聞く。訊く:訊ねる、質問する。見る:光を目に入れる。観る:比べて考えながら見る。看る:見た結果をもとに手助けする。 「きく」も「みる」も、教室では1つめじゃダメ。