見出し画像

君が居なくなる日に会おう

今日Xで「陰ながらいつもみてます、、!」と言われた。めっちゃ嬉しかった。とんでもなく嬉しかった。「もしかしたら、このnoteフォロワーの大半は陰ながらめっちゃみてます、、!勢なのでは?」と思う事が出来たから。ありがとう。抽象的な愛。

だが、そうは言ってもこの家の空気はまだ美味しいく無い。今日は共テ前日(僕は来年)だと言うのに。まだ治らない風邪と闘いながら布団に包まる18歳男性。昨日僕の親友の1人から数ヶ月ぶりにLINEで連絡が来た。「共通テスト応援して」と。
その1文に彼の優しさが詰め放題のビニール袋の様にパンパンに膨張し、汚い人参の様に詰まっていた。彼は僕とは違い中学生の時は学年で常にTOP5に入る程勉強が出来て、僕以上に面白くて、カッコ良くて、もう何もかもが強過ぎた人だった。彼は中学卒業後地元では1番の進学校に入学しているので、多分、多分だが、僕になんかに応援されなくとも、もう彼が設定する共通テストの目標点は夏頃には到達していて、後は過去問を使いながら調整するだけみたいな感じだとは思うのだが、私に応援を求めて来た。でも、私の事は一切触れない。理解が文面から伝わって来た時の安心感を久しぶりに感じた。なので僕は
「○○ちゃん(彼)が今までどれくらい勉強して、どんな成績だったとか知らないけど(高校生になってから)

絶対イケるぞ!!
○○ちゃんならイケる!!
俺が唯一負けたと思った人だから
(全てにおいて)
1年後俺も頑張るから!!
またいつか会おう。」

と送った。
今読み返すともう少し良い言い方があったのでは無いかと思うが、僕らしい文章で彼に僕の感情が100%伝わったと思う。
すると彼は

「3月会うか」

と僕に言って来た。
ここで少し、躊躇う気持ちが生まれた。
それはダメな時の僕の感情だった。
僕がまだ退学するか、しないかの、2択を決めきれて無い時を思い出す。僕は文面だけだといつもの僕以上に強気な言葉を使って感情を表現する事が出来るのだが、実際に直接会ったり、話したりする機会にまで到達すると、一気に先程の威勢は無くなり何処かに消えたくなってしまう。
そんな時はいつも「ちょっと体調が、、」とか言って忌避する事を常に意識しながら行動していたが、彼はそんな僕に対して「なら、今から行くわ」と1文残して10分後ぐらいに僕の家に来て、その勢いで僕の部屋まで来て、布団に包まる僕の布団を取り払って、情けないパジャマ姿の僕を見ながら、「ちょっとキャッチボールでもしようや」といつも言って来ていた。キャッチボールはとても古典的な会話方法で、焦りを玉に乗せながら言葉を繋いで行くとても僕に合った行為だった。その時間が僕はとても好きだった。その後、無駄に広い僕の家の庭を散策しながら少し会話をする。先程よりももっと実践的な会話に移るが、その頃には僕の方が話を進めている。そんな感じだった。そんな事を思い出しながら僕は

「君が居なくなる日に会おう。」

と返した。
君が志望大学に合格し、この場所を離れる日にまた僕が包まる布団を取り払って、パジャマ姿の僕を見ながらキャッチボールを誘ってくれ。そしてパジャマ姿で僕の家の庭に出たら、それはまたあの頃を思い出しながらキャッチボールをしよう。そこで感情が昂ればまた俺らが面白いと思う動画を撮るかもしれない。俺が面白いと思うノリをするかもしれない。そんな時間が
この家の空気を美味しくするかもしれない。


君が居なくなる日に会おう。
また1年後君に会いに行くから。

いいなと思ったら応援しよう!