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今日も話せなかったね。

※ I=君
後半、書きながら感情的になり過ぎて文章が疎かになっていて面白く無いかもしれませんが
ご了承下さい。

僕が中学2年生だった頃、当時の淡い恋心はお咎めを知らずに僕の脳内をずっと走り続けていた。理想は常に理想のままで、教室内を取り巻く青春はこの時期ぐらいからより活発化して行き、僕を含め僕の友達はいつもその空気に必死に追い付こうと皆「自分」を見失った動きをしていた。それが僕達の青春だった。でも、僕以外の友達は皆何かしら特徴と言えるものがあり、例えば常に学年TOP3に入るぐらい勉強が出来たり、僕と同じ卓球部で全国にギリギリ行けないぐらいの結果を残したり、単純にカッコ良かったり、もう僕からしたら何もかもが滅茶苦茶だった。僕は何も無い。勉強も出来ない。卓球部でもずっと補欠で、一回だけ大事な大会の日にレギュラーの奴が体調不良で休んで「漸くオレの出番だ!!」と思ってたら、僕よりも実力は無いのに何故か顧問に好かれていたと言う理由だけでレギュラーの奴の代わりに出場出来た1年の女。「死ね。」俺はそいつがストレート負けする所を体育館の2階の観覧席から眺めながらお母さんが朝5時に起きて眠たい目を擦りながら作ってくれた冷凍唐揚げ入りおにぎり2個を貪り食いそう呟いた。そしてその女の横で熱戦を繰り広げながらギリギリその大会の優勝候補を撃破した僕の友達を見て、その冷凍唐揚げ入りおにぎりに何の味変にもならない涙を少量流した。辛かった。苦しかった。でも、そんな当時の僕には周りには理解されない光があった。それは音楽とお笑いだ。音楽は当時僕の中では流行っていた「高校生ラップ選手権」の映像を擦り切れる程見て、自分が好きなフレーズだったり、所謂「パンチライン」と言われるその勝負の決め手になるフレーズなどを丸々パクってラップを知らない僕の友達の前で恰も自分が即興で考えて出したものとして披露し、友達に「即興で出したもの」と言う認識をさせて無理矢理自分の地位を上げようとしたりして自分を誇示しながら、家に帰ったら「自分だけが知ってる最高の音楽。」と言う自意識をずっと保ちながらそのラップ映像を見ていた。またラップバトルだけには留まらず、楽曲としてのラップもその頃から好きになって行った。当時はラップバトルで使われるビートの音源をYouTubeなどで調べて聴いてみたり、自主的にYouTube、LINE MUSIC、SoundCloud、などからdigって来た楽曲を聴いてみたりして、偶にLINEのBGM設定の所に誰も知らないだろう曲を設定して悦に浸る時間も作った。これもまた「自分だけが知ってる最高の音楽。」と言う自意識をずっとずっとずっとずっとずっと保ちながら優越感に酸素ボンベを付けながら浸っていた。楽しかった。またお笑いもハマりまくって、2018年のM-1の霜降り明星のネタを見る→千原ジュニアさんの「14歳」と言う本を読む、で完全に「芸人」への憧れと夢と希望を抱きながら生活をする事になって行き、この頃には友達の1人と「歯糞無糞」というコンビ名でコンビを結成して、昼休みや放課後とかになると僕に似た僕の様な友達数人の前で3〜4分の漫才を披露していた。また、「かきくけコラムニスト(仮)ヘビーユーザー会」と言うLINEグループを作成して、以前歯糞無糞でYouTubeチャンネルを立ち上げて投稿しようとしていたが、個人情報漏洩が怖くなり投稿を諦めていたネタ(漫才、コント、ピン芸)、トーク、大喜利、企画、など様々なお笑いに関する動画をこのヘビーユーザー会に投稿し始めた。最初は僕に似た僕の様な友達数人しか居なかったが、その数人の中の誰かが新しい視聴者を呼んで来て、またその新しい視聴者が違う新しい視聴者を呼んで来て、最終的には40人程このヘビーユーザー会に呼ぶ事が出来て、何回かスポンサーとして企画で使う小道具費や、大喜利の際に使用するホワイトボードの調達などもしてくれる人(全員今まで一度も話した事無い同級生)まで現れて行き本当に楽しい生活を作る事が出来た。此処で初めて「お笑いってこんな簡単に人生変えれるんや。」と思う様になった。本当に嬉しかった。その様な出来事も相まって自分自身でも「今の俺なら彼女作れるんちゃうか?」と思う様になり、この日を迎える事になった。2021年12月25日午前0時00分。僕が密かに好きだった小学生時代からの同級生Iさん。小学生時代の時はお互いの家が近いと言う事もあったので偶に一緒に下校したり、何度かお互いの家に行き遊んだりもした仲だった。だが中学生になるとIさんが塾や部活の影響で会える時間がドンドンドンドン無くなって行き、昔の様な時間は一度も訪れる事は無かった。またIさんは常に学年TOP5に入るぐらい勉強が出来て、運動神経も良くて、容姿も良かったので、僕以外の男子からの人気は凄まじく、とてもじゃ無いが僕みたいな奴が近づける存在でな無くなっていた。辛かった。でも、小学生時代にLINEは交換していたので、いつも学校が終わりIさんは塾or部活、僕は帰宅or部活サボって帰宅の後に、LINEで「今日も話せなかったね。」と僕がIさんに伝えると、Iさんは「そうだね。」だけを送ってくると言う奇妙なやり取りをずっとしていた。だから僕的には「ずっと返事はしてくれてるから、僕の事は嫌いでは無いのかな?」と言う思いをずっと抱かせくる「沼」に嵌まって行っている感覚だけがずっとあった。分かっているが、分からないフリをして。そして冬休みに入り君の姿を見れない日々が続いて滅入っていたが、勇気を振り絞って君こう伝えた。「今日は話がある。」そしたら思ってた何倍ものスピードで既読が付き「何?」と返事が来た。僕は「僕と付き合って下さい。」と何の例えも比喩も形容詞も何も何も何も何も使わずに直接そう伝えた。そしたら、「え、今はそういうのじゃないんだよね。」と返ってきた。察した。「そういうの」を察した。爆音の音楽と笑いと恋で繋がれた僕の中学2年生のクリスマスに。(書きながら涙が、、、、)
無理だった。やっぱり無理だった。そこから無理矢理にでもどうにかして付き合おうとする事も出来たが、無理だった。動かなかった。動けなかった。動きたかった。笑いたかった。愛したかった。愛されたかった。もう。もう。兎に角抱き締めたかった。もう分かってた。自分の醜さを。ァァァァアアアアァァァァァァァァ、、
何にも形容出来ない。溶けた。

溶けても愛したかった。

2021年12月25日


今日は話がある。

何?

僕と付き合って下さい。

え、
今はそういうのじゃないんだよね。

2024年12月25日

もう、話せなくなったね。




















































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