「小学校情報科」と「情報探究科」およびGIGAスクール構想中心で考える新しい学習指導要領には関わり合いになりたくない。

 もちろん新しい試みをしようとするそのお姿に個人的には敬意を表するが、顔晒してまでみんなを不幸にしていこうとするその感覚に違和感を覚える。この2校および東京学芸の堀田氏はそうした妄想のバラマキをやめた方が良いのではないかと思う。非常にエビデンスに欠ける行為である。
 まずは教育実践の語りのなんたるかを考えた方が良い。おそらく時代の最先端の進んでいる気になっているのだろうが、長年情報教育に触れた者の感覚からすればこれらの取り組みというのは常に教育の進化の数歩後ろを形を変えて後追いしているというように感じる。
 具体的に言えば、こうした取り組みの内容というのはすでにどこかで取り上げられたものの焼き直しであることが多い。それを校内で全員に行き渡るためにカスタマイズするためのタイムラグと広がりのための時間が必要になってくる。だからといって全国の新しい教育内容と教育方法の進化は情報教育の学校に合わせて歩みを止めているわけではない。
 個々の教員が彼ら彼女らなりの「新しさ」を持って翌日を迎えているのである。毎日。しかもここの興味関心は皆別のところにある場合はほとんど。領域に貴賎なし。別に情報教育やICT、一人一台タブレットやGIGAが上であるということは1ミリもない。どちらかといえば不自由で制限の多い、そして何より不具合の多い機器やアプリの為に一斉授業の教育現場には向かないことの方が立証されている。
 そういうことに対して個別最適化で誤魔化そうとしている節があるのは実は現場ではバレバレの話でよくこき下ろされている話を耳にする。
 こうした理由から現場は彼らを明確に相手にはしていない。そしてこういうのに感化されるのは無能な教育委員会と相場が決まっているからである。それはそれで困ったことである。

コンセプトと方向性によるヴィジョン

 こうしたことがきちんと示されていること自体は今の学校現場にはなかなかないこうした研究会や研究校が持つ「良さ」であると素直に思う。
 がしかしである。こうしたビジョンや指導体系表なるものが実際に効力を発揮しているかどうかというのはまた別の次元の話である。これがダイナミズムの罠だといってしまえばそれまでの話なのだが、ここを一生懸命考える必要に常に駆られるのが教育の持つ不条理というものなのだろうと思う。
 こうしたビジョンに対する異議申し立てやうまくいかないことに対する赦しというものはあって然るべきものである。実際にこれをみんなで実践することは非常に困難である。もう少し深いことを言ってしまえば目標の達成についてどういう考えを持っているかも一致点が見出しにくい。それは共通解だろうが正解だろうが納得解だろうが話は同じである。〇〇表というシステム自体が小学校では成立し得ないものだと思う。どう頑張っても目安程度の感覚しか持てないはずである。そうした枠組みに囚われ過ぎている人の実践というのは別にその人の授業じゃなくてもいいやんと思う三流授業である。
 ちなみに納得は解ではなく感だと思う。この辺は楽観主義者と話が合わないとこだと思う所以。

 ビジョンは必要ながら重要なのはビジョンを訂正するための場がオープンにされているかどうかということである。
 多分こうした発表校の成立というのは登壇した人間がしたり顔で決められた枠組みを全員に守らせるための監視人として機能した証なのだろうということである。

 そしてまたしてもこの会で姿を現したセイマーモデル。連続性などどこにもないのにさも連続的に進行しているかのように進捗工程を表せる気になっている。そこの問題に切れ込めない弱さを日本の教育工学は露呈してしまっている。そろそろカンバンを下ろされてはどうか?

 結局小学校情報科と情報探究科の実践は日本の教育に、令和の日本型学校教育に何の爪痕も残せない。というか日本の学校教育現場においてそこじゃない感と勝手にしておいてくれ感が漂う非常に偏った実践であるということ。これらの中身はどれも一度はICT機器を扱う上で子どもに話したことのある話ばかりである。しかもそのことは公の場では一度も口にしたことのない私の中では粗末で人様に話すようなことでもない話である。レベルの高低ではなく、それより大事に子どもと向き合って学びを紡ぎあうための前提条件としていつも学びの場にあることだからである。それは具体的事例で示すようなものでもなくもっと大きな流れの中で避けて通れない関所のようなものでそれは高価な機器とかきちんとした時間設定とか知識や技能として全員必須とかいう話ではないからである。

 それは堀田氏のいう「ICTに取り残された学校は次期指導要領では大変困ったことになる」という趣旨の発言ともリンクしている。そんなことは必要にないし、大変なことにもならない。教育活動の中にはちゃんとそれらに必要なことは含まれているからである。あなた方が心配する話でも不安を煽る話でもないのである。

 一言。関わり合いになりたくない。こうした勘違いに基づいて教育をかき乱すことはやめてほしい。偉そうにしたいならどっか他所でやってくれ。
 あなた方が教員をブラックで何をやっているのかよくわからない職業に見せてくれていることに非常に貢献してくれている。ガジェット趣味はいいと思うけど・・・

 おそらく情報教育はそうしたスキ人間を量産したかもしれないが、それ以上に情報アレルギーの人間を大量発生させることにも貢献したのではないかと思う。平和教育が平和の何たるかを真剣に考えない子どもを育てるのに貢献し、人権教育や道徳教育がモラルなき日本人を醸成するのに貢献したように。


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