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”挫折”を知らない君へ

週末に友人と興味深い議論をしました。
ずばり、”挫折”について。

私は高校では不登校、社会人では休職など大なり小なり”挫折”と呼べる経験をしていて、そのたびに周りの人に「どっこいしょ」と起こしてもらっています。挫折を通じて、自分の弱さや周囲の愛を知り、身のほどを知ることや、背伸びするタイミング、自分のキャパシティなど多くのことを学び得ました。だから、私は挫折が人生を豊かにするのだろうと信じて疑っていません。

一方、件の友人は「挫折をしたことがない」という悩みを持っているそうで。中学、高校、大学、社会に出ても、無難に何でもこなせる彼は、就活の際に「あなたの挫折は何ですか?」と訊かれるとホトホト困り果てたようです。

そんな私と彼とでは、価値観が大きく異なります。

平和を知らねえガキ共と戦争を知らねぇガキ共との価値観は違う! 

とはマンガ「ワンピース」のセリフですが、そんな感じ。

私の「挫折は人生を豊かにすると思う」の言葉を彼は理解できない。
いや、理解は示せるのですが、体験してないのでわからない。
一方、私もそんな彼に対して、「鈍感なだけなんじゃ...」と訝しんでしまいます。

そんな彼は、何事に対しても「悔しく感じない」のだそう。
学生の頃バスケ部のレギュラーになれなかったことも、特に何も思わず過ごしていたと。
裏を返せば、「何にも熱くなることができない」
そんなこれまでの人生を、達観して淡々と語る彼の口調が印象的でした。

正直に言えば、同じ年数を生きてきて、私の方が広く、深く、意義のある人生を送らせてもらってるんじゃないかと、思ったのは事実です。
また人と比べる悪い癖が出ましたが、そう思っちゃいました。
それはひとえに、人生の広さ、深さ、意義というものはすべて”挫折”を母にして生まれる、と思っているからです。

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このイチローさんの言葉に激しく首を縦に振り、同意する私です。

”挫折”そのものではなく”挫折を乗り越えた経験”こそが人生を意義あるものにする、と私は考えています。
そして彼は、その意義そのものを知らない。
これは大きな差ではないかと思うのです。
この点においては、私は自らを肯定することができます。
自嘲気味に、「自身で肯定しないとやっていかれへんのやろ?」などと思ったりもしますが、これは人生で経験として得た教訓です。

私をフォローしていただいている方の中にも、私と同じく抑うつや休職、ほかにもうつや適応障害などと闘っている/闘っていた方も多いです。
そうした方に、そして挫折を知らない友人にも、「挫折は無駄ではない」ことを伝えたい。
遠回りしたからこそ出会える人や景色もあるんですよと。

確かに、”挫折真っただ中”の時はしんどくて、死にたくて、少なくとも明日起きられるかは分からないような日々です。
でも、自分と向き合い、無様でも周囲に頼り、前は向けずともなんとか足元を見つめ、再び歩き出せるようになった時、その人にしかわからない、言葉にし難く、そして得難い何かを得ることができるのです。
それを知るのと知らぬのとでは、やはりその後の人生も大きく違ってくるというものです。
誰も好き好んで挫折したいなんて人はいませんので、であれば”挫折の後のうまみ”の部分も、取りこぼさないようにやっていってほしいのです。

友よ、死ぬまで一生何の挫折もないようなことはないだろう。
大なり小なり、様々なことが降りかかるというものだ。
友よ、その時には、ぜひともいろんなことを吸収して、最後に私の言葉を思い出してほしい。
人生の広さ、深さ、意義というものはすべて”挫折”を母にして生まれるんだよ。
その時は、得意げな顔をして「だから言ったやろ」と手を差し伸べられる、そんな大人になれているといいな。

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じとめん
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