「小説をなぜ書くのか、楽しいのか?」
なぜ、人は苦労して小説を書くのだろうか?
文豪と呼ばれる人であっても書くときは、大変でつらく、先の明かりが見えないトンネルに入っているようだと、わたしは思う。
わたしは、小説を書くことは好きだが、つらい。
つらさに勝つために書く。ストレスに押し流されないようにして書く。
ここまで無理をして書くには、やはり「理由が」ありそうだ。
我々は、日常生活を送るにあたって、言葉・語彙によって囲まれて生きている。人々の内面は言語化されている。多くの言葉の意味、ことわざ、慣用句、二字熟語、四字熟語、修辞のための言い方などを沢山知っていて、知っているだけではなく身についている人の世界は、広い。
言質=我々の世界、そのものなのだ。
小説を書くということは、自分の創り上げた「言語的世界」を、他者・読者へ「提起」し、創り上げた「世界」を読むことで、読者の言語構築に、「斬新な刺激」を与えることで、他者・読者に新しい発見をしてもらうことであると思う。
最初に、小説を書くことはつらいと書いたが、具体的にいうと「物語り」の最初と最後を決めてしまうのが難しいのである。
最初と最後さえ決まれば、大抵、好きなようにトントンと書いて行けばよい。
小説書きはつらいけれど、途中で書けなくなるかどうかというスリリングな点がある。
つらいけれど、書き終えるとホットし、生きているという自信につながる。