「精神科受診と文学への道・青春期」
わたしは、高校生の頃から壮年期に入った現在までを見ると精神病、気分障害、不眠症の連続であった。
高校生の時は、有名な進学校へ行っていた。いわゆる東京大学へ何名合格したかを競い合う学校の一つである。
当時、わたしは、大学の学部さえ決まっていなかった。
代々医師の家庭で親族は全員医師という異常な環境であった。
そういう環境では、父がわたしに医学部へ行って欲しいというのは、ごく当たり前の希望であった。
わたしは、数学が好きであったので、「純粋数学」か「論理哲学」へ行きたいというと、父から厳しく反対された。彼が、反対する理由は、そんなことを学んで社会へ出たときに、どうやって食べていくんだ!ということであった。わたしは、紙とペンさえあれば仕事はできるし、仕事や研究に熱心になれればお金など要りません!という始末だった。
そういうわたしを説得するために、父は高校の担任の教師や数人の教師を呼び、自宅で食事をしながら、彼らにわたしを説得してくれるように頼んだのだ。こういうことが続くと、まだまだ、自立していない高校生の身のわたしには応える。
わたしは、その頃から、首と肩の凝り、頭痛が激しく、ベッドに横になっていても苦しいほどであった。
それで、内科医から診断してもらうことになった。
その先生をわたしは、尊敬していた。医学者であったからだ。
臨床医として患者さんを治療しているのにはいろいろな理由があった。
その先生は、元医学部の大学教授で、そこの大学の学長になる予定であった。運の悪いことに肺結核にかかり入院した。入院中に、勝手に人事が進み、その先生の居場所は消えていた。先生は仕方がなく、医学者をやめ総合病院に勤務をした。人望があり優秀であったので、病院長に推薦された。
その時に、また運が悪いことに肺結核にかかり入院。入院中に奥様が子宮がんで死去。先生は、出世をあきらめ自分のクリニックを開くことになった。
元医学者だけあり変わった先生であった。診察室のデスクの上は、文献で山積みになり、いつ崩れて落ちてもおかしくない状態であった。そこに女性週刊誌が何冊も置いてあった。芸能界に興味があるのかなあ、と思った。さらに、趣味のパチンコで勝つとすべてタバコに替えていたらしく、タバコがお山になって置いてあった。
先生の診断では、首と肩の凝り、頭痛は、うつ病から来ているという事だった。うつ病のお薬と肩凝りは肩に乳酸が溜まるから起きるので、その乳酸を散らすお薬、食欲が落ちてきていたので、食欲増進剤、それと不眠症改善のために睡眠薬が出た。
お薬を飲みながら一週間、学校を休み自宅でほとんど寝ていた。
一週間後には、完全に復帰できた。
極度のストレスが原因だったらしい。
結局、医学部を受けることになった。
その時、わたしのその苦しみを慰めてくれたのが「文学」であった。
<つづく・・・・>
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