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ネガティブな事実を「ネガティブな発信」としちゃうか「ポジティブな発信」に変貌させるか...みたいな
「ネガティブな発信ってあんまり見たくないけど、西村さんの発信は例えネガティブ寄りの話題でも全然ネガティブに感じない」
…的な感じのことを前に後輩サンに言われた事があって、その言葉をふと思い返しながら脳内掘り下げの時間が始まったので(趣味の時間です)、最近告知めいた内容ばっかりだったから久々にそっち路線の記事を書いてみます。
(久々に通好みな内容になりそうです)
そんな話を書くに際して、ポジティ
「わからない」にはふたつの種類がある。
本でも音楽でも映画でも、「わからない」ものは多い。
わからない、というのはなかなかに多義的で、誤解を招きやすいことばだ。たとえば「キェルケゴールを読んでみたけど、ぜんぜんわからなかった」と言うとき、その「わからない」は「難解で理解できなかった」という意味になる。しかし一方「クッキングパパを読んでみたけど、ぜんぜんわからなかった」と言う場合、それは漫画としての難解さを嘆いているわけではなかろう。「
がんばりすぎる人たちへ。
TLで流れてきた記事をきっかけに、がんばりすぎる人について考えた。
おそらくぼくは、がんばりすぎる側にいる人間だ。本をつくるときでも、それ以外の仕事でも、適度に肩の力を抜くということがあまりなく、どうしても「がんばり」が過ぎてしまう。天賦の才を持たない人間のひとりとして、そこに投じる時間や労力は多いほうがいいとは思うのだけど、「がんばり」が自己目的化してしまうのはちょっと違う気がする。
たとえ
かっこいい人の基準。
かっこいい人、について考える。
イケメンであるとか、背が高いとか、足が長いとか、そういう容れものの話ではなく、ひとりの人間としてかっこいい人。その条件というか、自分がどういう人を見たとき「かっこいいなあ」と思うのかを考える。
たとえば、仕事がばりばりにできる人。たしかにかっこいい。すごい作品をつくる人。めちゃめちゃに頭のいい人。字引のごとくなんでも知ってる人。いずれもかっこいい。あこがれる。
書くことがないときの書きかた。
べつに隠すほどのことでもないので書いておくと——。
日記の、あるいはブログの一行目に、そう書いてみる。するとことばと思考のつながりはおもしろいもので、ちゃんと「これまで言ってなかったけど、べつに隠すほどのことでもない話」が浮かんでくる。「秘密」というほどでもない、けれどもあまり人前ではしてこなかった話が。
べつに隠すほどのことでもないのだから、書く。これを機会に書く。ことばにしてみれば思いのほ
人生でいちばんのアドバイス。
16歳と、17歳の会話である。
サッカー部のめちゃくちゃうまい先輩に、ぼくは「どうやったら強いボールが蹴れるようになりますか?」と聞いた。いろいろ改善すべき点の多いサッカー部員だったぼくは、自分のいちばんの欠点をキック力のなさだと感じていた。思いきりボールを蹴っても、遠くまで飛ばない。先輩たちみたいに強いシュートが、ぜんぜん打てない。かといって筋力だけの問題だとも思えず、きっとフォームが悪いのだ
祖父のアルゴリズム葬儀(もうあかんわ日記)
毎日21時更新の「もうあかんわ日記」です。もうあかんことばかり書いていくので、笑ってくれるだけで嬉しいです。日記は無料で読めて、キナリ★マガジン購読者の人は、おまけが読めます。書くことになった経緯はこちらで。
今日はお昼に「みんなのお金で、3月21日にでっかい新聞広告を出したかったわけ」という大切なnoteを書いたので、そちらも読んでくれると嬉しいです。
父方のじいちゃんの葬儀があった。
母
敬意よりも大切な、不可欠なもの。
インタビューってのは本来、ものすごくむずかしいものなんです。
ぼくが有名人に、たとえば大谷翔平さんみたいな方にインタビューするとしましょうか。インタビューを受けるのって、面接を受けるのと似たところがあって、基本的に「訊かれたことに答える」ものなんですよね。だから、仮に大谷さんが「バッティングフォームの話がしたいなあ」と思っていたとしても、ぼくがその話を振らなければ、大谷さんは別の話をせざるを得な
逃げられないから、逃げるんだ。
いったいカツオは、なにを慌てているのだろう。
夏休みのこの時期、カツオは毎年夏休みの宿題に追われている。サザエから叱られ、ワカメにたしなめられ、タラオから頓狂なアドバイスを受け、居間に陣どる波平の目を、逃れようとする。小学生のころ、ぼくはその気持ちがまるで理解できなかった。自分のなかに「夏休みの宿題を出す」という選択肢が、まるっきりなかったのだ。カツオの学校はたいへんなのだろうなあ、と思うくらい