書くことがないときの書きかた。
べつに隠すほどのことでもないので書いておくと——。
日記の、あるいはブログの一行目に、そう書いてみる。するとことばと思考のつながりはおもしろいもので、ちゃんと「これまで言ってなかったけど、べつに隠すほどのことでもない話」が浮かんでくる。「秘密」というほどでもない、けれどもあまり人前ではしてこなかった話が。
べつに隠すほどのことでもないのだから、書く。これを機会に書く。ことばにしてみれば思いのほか軽いものだったり、心が整理されたりする。なにかを手放した快感が、おそらく伴う。
そして最後まで書き終えたあと、蛇足でもある冒頭の「べつに隠すほどのことでもないので」云々をカットする。そんな断りを入れずとも、ふつうに書いていいはずのことなのだから。
「書くことがない」「書くことが思い浮かばない」という人は、ぜひ試してもらいたい。ときどきぼくもやっている。何回使っても、あたらしいネタは出てくるはずだ。
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ちなみにきょうの「べつに隠すほどのことでもないので話」を書くと、むかしぼくは巨人ファンだった。
そんなことかい! と怒らないでほしい。そんなことでいいのだ、日記もブログも。
巨人ファンになる前は、日本ハムのファンだった。スポーツ用品店で野球帽を買ってもらえることになった小学生時代、筆記体のロゴがかっこよく見えて日本ハムの帽子を買った。そして、買ったからには仕方がない、日本ハムのファンを名乗ることにした。
つらかった。ひたすら、つらかった。当時の日本ハムが弱かったとか、そんなレベルの話じゃない。なにせ日本ハムの試合なんて、テレビで中継してくれないし、選手の顔と名前を一致させることさえひと苦労なのだ。
そして2年間ほど苦渋100パーセントジュースを飲みきったあと、ぼくは巨人ファンに鞍替えした。開きなおった、と言ってもいい。だって(とくにぼくが住んでいた当時の九州では)テレビじゃ巨人の試合しか中継しないのだ。それでヤクルトがいいとか近鉄が好きとか言ってるやつは、みんな嘘つきだ。お前らだって巨人の試合しか観てないだろ? なんだかんだで巨人の選手のほうが、ヤクルトや近鉄よりも知ってるだろ?
しかし巨人ファンに鞍替えした当時のプロ野球界は、ちょうど西武ライオンズが黄金時代に突入したころで、日本シリーズのたびにぼくは苦渋100パーセントジュースを飲むはめになってしまう。
ぼくは自分が関わる本について「やっぱ売れなきゃダメでしょ!」の気持ちが人一倍強いのだけど、その原点には、なんの情報も届かず、応援しようがなかった日本ハムファン時代の切ない記憶、そして恥を忍ぶように巨人ファンに鞍替えしたときの開き直りがあるように思う。
ちなみに巨人ファンを卒業した理由は、ホークスが福岡にやってきたから、です。地元球団ができてはじめて「ああ、野球ってこうやって応援するものなんだ」ってわかった気がしたんですよね。「これが野球なんだな」というか。
それでいうと心にホークスを置きながら東京に住んでる現在、うまく野球と付き合えない自分もいたりします。