「伝える」と「届ける」
今、絶賛「広報」とか「マーケティング」のことについて勉強している。
元々何か文章を書いたり、発信したりということは好きで、
と思い、伝え続けてようやく最近なれたわけだけど、それにしてはそういった部分の知識や力がなさすぎる、というのは最初からわかっていた。
当たり前だけど、「個人で発信すること」と「組織で広報すること」は、"発信"という大きな枠組みで捉えれば方向性は一緒。ただ全く同じアプローチかというと全然異なるものだ。
何となく理解はしていたけど、具体的にはイメージをできていなかった。
そもそも”個人”と”組織”という分け方も違っているのかもしれない。
「伝える」と「届ける」の分け方なのかもな、というのが最近の気づき。
自分にとって日々書いているnoteは「自分のことを『伝える』作業」だ。
そうやって自分を主語にして文章を構成している。だから目的は自分の想いをさらけ出すことで、運よくそれが誰かに引っかかったり考えるきっかけになったりしてくれたら嬉しいな、ということで書いている。
これがもし自分が「noteで生計を立てている人」だったらどうだろう。きっと内容はもっと考えるし、テーマも統一感をもたせる。何より読んでくれる人にもっと訴えかける、巻き込んでいく。それでファンを増やしたり、マネタイズしたりしていく。
伝えるって自分がアウトプットすればそれでとりあえずミッションクリアだ。
でも広報とか、ライターさんはアウトプットがゴールではない。書いたものが届いて、届いたうえで相手を行動させないとゴールとはいえない。これが「届ける」ということなんだと思う。
どっちがいい悪いじゃなく、別ジャンルのアプローチということ。
広報という仕事をやっていると、より意識した使い分けが必要になってくる。その時に心がけたいのは「主語」。
時には自分たちの譲れない大切な想いを発信したい時だってある。そこでは主語は自分たちになる。そして想いをありのまま綴る。アウトプットすることに意味がある。
だけど時には発信を通じて行動を喚起したい時もある。その時は主語が「相手」になる。読んでくれる相手。共感を生み、自分のことを言っているんじゃないかと感じてもらえるような表現にする。
ちょっとした違いだけど、意識して使い分けられるかどうかってめちゃくちゃ大切。自分もここはまだまだなところ。
「伝える」場面か、「届ける」場面か。
意識して使い分けていきたい。
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