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#ごきげんに生きる
娘の非言語コミュニケーション能力と私の言語コミュニケーション能力
久々の投稿になりました。
なんだか疲れてしまった発信であり、投稿。今日はそのリハビリもかねて、特に内容もない話だけど。
でも、新型コロナで世の中がこんなに混乱している時だからこそ、私は何か出来ないのか!と焦っていたりして。でもこの新型コロナは私たちに本質的な問いを投げかけているようにしか思えなくて、コロナショックならぬ、コロナチャンスなんじゃないかとも思う今日この頃なのです。(このことについて
「鏡の中のぼく」上映会へ行って
区民活動を一緒に運営するパートナーから、誘ってもらい、NPO法人マザーズコーチングスクールが主催する「鏡の中のぼく~動画上映会&講演会~」へ行ってきた。
実は私はマザーズコーチングの認定講師にまでなった経緯がある。今はそうじゃないのだけど、、、ここの代表の馬場啓介が、とても面白いのと、本質を突きまくったことしか言わないので、久しぶりに話を聞ける機会とも思って、行ってきた。
彼の話を聴いていて、
3歳娘に言われた「なにか りゆうが あるんじゃない?」に面食らう。
100日note記事投稿チャレンジ。意地でも更新する日もあったのだけど、、、続けられないことでガッカリしたり、するのも元も子もないので地味に続けることにする。
私の勤めている部署は、ひたすら忙しい部署だ。「息つく暇もない」という言葉がピッタリ。しかも毎日。毎日同じことの繰り返しで、、、とにかく作業量が多い。毎日疲労困憊で帰ってくる中、、、久々にびっくり事件が起こった、、、そして、心がざわついたの
母親であるじぶんがどう育てようなんて、、、やはりおこがましい。だから、子どもを預けて大丈夫かもよ。
友人にシェアしてもらったnote記事。
株式会社キッズライン マーケティング担当役員、やまざきひとみ さんの記事を紹介してもらった。
キッズラインの方とホリエモンがインタビューしてる!と思わず見たamebaTV だったと思う。そのインタビュアーの人だった。
この中では、ワンオペだけじゃなく、ツーオペも大変。母親たちは「産め、育て、働け」の過渡期にいて、親子や夫婦の形は多様化していている、と
心のまま生きるような感じ
娘の看病生活3日間が昨日で終わった。3日間仕事を休んだ。熱が下がる昼間は元気なもんだから、ずる休みしているような気分になった。
3日目の昨日は筆と絵の具で遊んだ。実は私がひそかに没頭してみたいと思っていたから。や、没頭するほど絵心なんてないのだけど、感じたまま表現することを久しぶりにやってみたかった。
時間にしたら40分くらいだろうか。目の前ではパレット代わりのお皿を全てブルーに塗ったり、筆を
子どもにHappyを感染させる母親。最強。
昨日、Facebookスレッドで盛り上がった。先日参加したイベントレポートへのコメントがちょいと炎上気味に。そこで、またハッとしたので、ここに書き残しておく。
多くの親が、我が子をじぶんと分離して考えることはすごく難しいことみたいだ。特に母親は我が子と一体の時期がある。まるで100%同じで、100%を分かり合えているような。そんな我が子が、外界に出てきて理由が分からず泣きやまない時、母親達は、苛
「お母さん、この子を「ふつう」にしたいんですか?」
昨日は、こんなイベントへ行ってきた。
私が当事者かどうかはよく知らない。でも、ものすごく生きづらさは抱えながら生きている。いろんなものへ救いを求めてきた中で、昨日このイベントで登壇された方々の方角に、私の生きる道?私の生きる方角?もある、そんな風に感じられた。生きづらい方角を見ている私の顔を優しく「ねぇ、ねぇ。」と振り向かされた気分だ。
言葉はしたためきれず、脳裏に留まってしまい、表には出てき
出来ることが増えるということは、役割が増える事。
出来ることが増えるということは、役割が増える事。
3歳娘が一人で出来る事がどんどん増えていく。
・コップにお茶を注ぐこと。
・おもちゃの片づけをすること。
・室内の照明スイッチに手が届くこと。
・折り紙の折り方を教えてくれること。
・その日の出来事を教えてくれること。
・トイレで用を済ませられること。
・ゴミ捨て場までゴミを持って行ってくれること。
・靴を履くこと。
すでに、おーー助かったぁ
真実は一つ。あるのは、無数のストーリーと解釈。
我が家は3歳の娘が一人。
私は出かけるのが好きで、一人でもフラフラといくタイプ。そして一人時間がすごく欲しい人でもある。最近娘がお昼寝をしなくなったことについて、ちょっとばかり、悲しいのである。お昼寝のタイミングを計らって本を読んだり、書いたり、考えたり出来るから。
先日娘と友人二人で、電車で30分くらいなのだが、神保町の駅で待ち合わせをした。友人二人も子どもがいて、その中には同い年の子が
「○○をしたいWANTな人」から、「○○で満ち○○で満たされるBEな人」への気付き
昨日、書いたnoteで気付きがあった前の「ありたい姿」と気付きがあった後のじぶんの「姿」について、うっすら線引きが出来た気がして、それだけ書き残します。
「ありたい姿」は昨日も書いた通り
カッコいい・カチッとして・ステキで、だけど真面目で…という姿。
その理由は
誰かにこんな風に評価されるだろうな、こんな風だったらすごいって言われるだろうな、こんな風だったらかっこいいだろうな、誰もがうらや