子どもにHappyを感染させる母親。最強。
昨日、Facebookスレッドで盛り上がった。先日参加したイベントレポートへのコメントがちょいと炎上気味に。そこで、またハッとしたので、ここに書き残しておく。
多くの親が、我が子をじぶんと分離して考えることはすごく難しいことみたいだ。特に母親は我が子と一体の時期がある。まるで100%同じで、100%を分かり合えているような。そんな我が子が、外界に出てきて理由が分からず泣きやまない時、母親達は、苛立つ。じぶんの思った通りでない我が子。我が子なのに分かり切れないじぶん。そうやって、段々とじぶんに「母親失格」であったり、子どもに「困らせる我が子」というレッテルを貼っていく。そのレッテルを貼った途端に、「失格な母親」を持つ「かわいそうな子ども」と、「困った我が子」を持つ「大変なわたし」が出現するのが、分かるだろうか。
そう、子どもも同じだったはずだ。超安心安全な母親のお腹の中から出てきたときからイヤイヤ期に向けて、子どもは母親とじぶんは同じで一体のものであると認識しているという話は聞いたことがあると思う。
そして、だんだんと自分の手があった!となめなめして自分の手を認識し、足を認識し、スプーンやらおもちゃやら、自分の周りには何か自分とは違うものが存在していることを認識していく。母と自分が一体だと思っていた時代から、自分と、母親以外の何かがあるんだ、ということを認識していく。
そして、1歳2歳にもなれば、自分の体の形を理解し始め、身体能力も発達し、母のぬくもりが全てだった自分から、自分の脚で立ち、自分の行きたいところへ行けるようになる。母との分離がここで成立する。
すると、ここで子どもは混乱に陥る。いわいる「イヤイヤ期」だ。子どもが一体だと思っていた母親が、自分の思った通りにならない、逆のことを言う、逆のことをしろと言う。自分のやろうとすることを止めたり、泣いて嫌だと表現しているのにそれに対して母親は悲しんだり、怒ったりする。
もう、子どもはこの時代から、母親と自分は別のものだと理解し始めている。もう子どもは、母親とは別の存在であることは認識しているんじゃないだろうか。親とは裏腹に。
自分の幸せと、子どもの幸せは、別のところにある。我が子でありながら、我が子を幸せにしてあげることは、きっと出来ない。
その分離感がなんだか切ないという気持ちが、親のどこかにあるのかなぁと思う。我が子を大切にしたいからこそ。。
だからこそ、親の方も親として、子どもと一緒に育とう、一緒に楽しもう~。そして一人の人という存在同士、一緒に幸せになろ~。
「してあげる」世界から、「一緒に」の世界に親が住み着く感じかなぁ。
「母親だからハッピーでいなければいけない」んじゃなくて、身近な存在である「母親」が、一人の人間としてとても幸せである、その姿を見せることが、めちゃいい影響を与えるって。
そう、私は「母親」の顔した、身近な人間の一人なのである。我が子は「子ども」の顔をした身近な人間の一人なのである。
だから、それぞれが幸せに向かっていけばいいのだ。
私はエンパワメントプロデューサーひぐちまりさんが 主宰されている、エンパワメントプログラムを6か月に渡って受講した。
ここでは、本当に多くの事を学んだ。最も大きな学びは「人生は全て自分次第である」という姿勢である。まりさんは、喜びも悲しみも「自作自演」と言った。人生に意味はなく、意味を付けているのは全て自分。であるならば、出来事や周りが自分の人生に色を付けているのではなく、自分が自分の付けたい色に彩ることが出来る、自分がかじ取り出来るものである、という姿勢である。
だから、I’m Happy から始めよう!とおっしゃる。誰かと戦い勝つことで、何かを手に入れることで「GETな幸せ」を手に入れるのではなく、自分であることがすでに BE Happyであることを知る。その BE Happy な自分であれば、周りにも Happy を及ぼしていくということである。何を手に入れなくても、その場から幸せになれる、と、言ったりするのは、GET によらず、BE Happy に気付くからである。
母親も同じ。親子も同じ。母親がじぶんが Happyな状態であれば、そのHappy は 及んでいくもの。Happy は伝染し、感染していくもの。
子どもにハッピーを感染させる、母親。最強説。