子どもには羽がある
子育てに一番必要なのことは何か?
私は言い切れる。
それは、「信頼」
大人が教育を与える立場をとり、子どもを教育しなきゃいけない対象として扱っているうちは、そこに信頼はない。そこには教育しなければダメになる、教育を与えなければサボる、教えなければバカになる、教えなければみんなから遅れる、そんな思いが隠れているように思う。以前私はそう思っていた。
私は、子ども、否、すべての人間には天才性の種が備わっていると思っている。
誰が言っていたか忘れたけど「子育てで気を付けたことは何ですか?」という問いに対して、「子どもの羽を折らないようにしました。」と答えた人がいて、私は強く頷いたのを覚えてる。
そう、子どもは羽を持ってる。じぶんの幸せの方向へ羽ばたくための羽を持っている。本来幸せの方向はじぶんの中にあるはずだと、私は思っている。
でも多くの人はその幸せの方向を示す、内から湧き出るじぶんの声が聞こえなくなっているように思う。社会で教わったことやこれまで学んだ、外から取り入れた学習によって出てくる声がまるでじぶんの声だと思っている。
じぶんの声と、それ以外の声の区別がおおよそ付いていないのが、この社会に適合している多くの大人たちのように思う。
社会で教わったこと、外から取り入れた学習。それを「学び」とするならば今のじぶんを葛藤に追い込む「学び」はなかったろうか?そしてそれが正しい価値観、それがまるでじぶんの価値観となっていないだろうか?
これまで学んだ事をもとにこの世界を見ているのだとしたら、「今・ここ」にはいない。過去を元にして現在を過ごしていることになり、未来は過去の延長となる。
そして、じぶんが培ってきた価値観を元に、我が子を見ていないか?じぶんが生きる軌道の上に我が子をのせていないか?
我が子には、我が子が幸せと感じる方向へ導く羽を持っている。それを信頼して、教育を考えてはどうだろうか?
才能を伸ばそうとする大人はいるけど、そろそろ、羽を折らぬことにもっとフォーカスされてもいいと思う。