「○○をしたいWANTな人」から、「○○で満ち○○で満たされるBEな人」への気付き
昨日、書いたnoteで気付きがあった前の「ありたい姿」と気付きがあった後のじぶんの「姿」について、うっすら線引きが出来た気がして、それだけ書き残します。
「ありたい姿」は昨日も書いた通り
カッコいい・カチッとして・ステキで、だけど真面目で…という姿。
その理由は
誰かにこんな風に評価されるだろうな、こんな風だったらすごいって言われるだろうな、こんな風だったらかっこいいだろうな、誰もがうらやましいとか言うんだろうなぁとか、、、、、
誰かに○○に思われたいという理由だったこと。そこにはいくら稼ぎたいとかもある。もちろん、それはとても大事なこと。(お金のことについてはまだそこまで考えられていない。)
ここには私の「WANT」で溢れている。このWANTはモチベートしたり希望を持ったりする時にはとっても大事な感情なのだけど、WANTは「ない」という概念がありきでしか存在しない。喉が渇いたから水が欲しくなるように。あのバックが手元にないから欲しくなるように。だから、WANTだけで満たされていると、「ない」で満ちると似たようなもの。モチベーションが続く限りは良いけれど、ちょっと「油断」するとこの状態が苦しくもなってくる。
気付きがあった前の「ありたい姿」はまさに「WANTな姿」だったと思う。
それに対して、昨日ひらめいたじぶんの姿は、「BEな姿」だった。ただ、そこにある。じぶんが存在している時点で、何かを感じ何かの影響を受けている。じぶんには心があり、じぶんの周りにはたくさんの人やモノや音や色があるから、じぶんがいるだけで、心に何かがぶつかったり、触れたり、ズレたり、時に揺さぶられたりする。
その中に心震える瞬間がある。どうしようもなく震える瞬間。それは感動ともいえるような、すごく躍動感があるが、心地のいい瞬間。その心震えるものでじぶんの時間を満たしていくことが、その姿が「BEな姿」であるように感じた。
その「BEな姿」であれば、誰も傷付けず、なおかつ、周りにおのずといい影響が及ぶような、そんなイメージ。その姿にエネルギーが集中し、高まってくると、誰かを明らかに「エンパワメント」している存在になっていく。
伝わりにくくて、小難しく書いて、ごめんなさい、だけど、「○○をしたいWANTな人」から、「○○で満ち○○で満たされるBEな人」、みたいな感じ。
これ以上凝ると、明日また続かないので、ここまでにて。