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娘の非言語コミュニケーション能力と私の言語コミュニケーション能力

久々の投稿になりました。

なんだか疲れてしまった発信であり、投稿。今日はそのリハビリもかねて、特に内容もない話だけど。

でも、新型コロナで世の中がこんなに混乱している時だからこそ、私は何か出来ないのか!と焦っていたりして。でもこの新型コロナは私たちに本質的な問いを投げかけているようにしか思えなくて、コロナショックならぬ、コロナチャンスなんじゃないかとも思う今日この頃なのです。(このことについてはまた別途書きたい)

今週は仕事を休んだり、在宅日があったりと4日間、娘の保育園を休ませた。我が家は東京都大田区に住んでいて、2020年4月10日現在、保育園は「原則開園」。育休の方や在宅日などは登園を自粛するように「要請」されている状況。休ませた4日間。娘といる4日間。それは一番安心できる日々だった。

娘といる4日間。在宅で仕事が出来た事も有難かったけれど、娘といられる時間も有難かったけど、それより何より、朝ご飯を食べた後、これから私が仕事をすることを娘はかなりの部分理解していることを知って驚いた。

そして、私がちょっとイラ立って口調がキツくなった途端、娘は言う。

「ママ、きょう、つかれてるね!」

私がイラ立っているのを、私の疲れのせいにしてる。ひとまず、何も言わなかったり、母親がイラ立つのを娘である自分のせいにしていないだけイイやと思っている私。

そして、そのうち分かってもらいたい。全部自分で気分が決まっていることを。

よくある、スーパーで子どもが「これかってーー」とせがんで、大泣きするやつがついに我が家にも起きた。プリキュアのレトルトカレーを握りしめながら、私は買うのを拒んでいると、それはそれは大きな声で泣き始めた。

「ないちゃったでしょ!ママがわるいんだからね!ママのせいなんだからね!ママきらいだよ!」

この時、何人の人に振り返られただろうかwそこに反応する私はいなかったけど、ここでなんて言ったらいいだろう?と戸惑う私はいた。

娘は思い通りにいかない状況や自分の感情の責任を私に負わせている。自分が間違っているなんて思いたくもない、ただただ、自分を守ろうとしている発言。けして私のせいにすることが一番の目的じゃない。ここまでは分かる。

私は、この時、何を子どもが守ろうとしているものに目を向けたいとは思った。

でも、とっさになって言ったらよかったのだろう…

子どもが守ろうとしているものとは…
親からの愛情?自分が選ぶものへの信頼感?

ここがまだうまく表現できない。子どもの本当の要求。

プリキュアカレーを手に入れることで、満たしているものは何だったのだろう?手に入れられずに、満たせなかったものは何だったのだろう?


答えは出ぬまま…また別途この件についても書こう。


だいぶ書く筋肉が衰えているのを感じざるを得ない…投稿でした。


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ごきげんママ|育児と人生に安心感を|心とじぶんに自覚的に生きる|あらのたか子
なかなか変われない…それって自分自身のせいじゃなくて、捉え方を変えたら今から変われるもの。そんな言葉を文章で伝えたい。最後はやっぱり自分と向き合い切るかにたどり着くから、その強さを持つ人になりたい。