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『民主主義とは何か』歴史的な視点から民主主義を考え直す

民主主義とは?一言で言うと○○○です

「その答えは一言で言うと、ズバリ○○○です。」

そうやって「これが唯一の民主主義の理解だ」という簡単で分かりやすい答えにすぐ飛びつくんじゃなくて、民主主義について色んな角度から考え直し、分析していこうというのが本書のねらいです。

民主主義の定義は小学校で習うにも関わらず、改めて考えてみると何を意味するのかよく分からない言葉です。

  • 民主主義って多数決なの?少数派の意見は尊重しなくていいの?

  • 選挙で代表者を選ぶのが民主主義なの?

  • 民主主義とは国の制度のこと?それとも理念のこと?

そういった民主主義に対する疑問に対して、歴史的な視点から考察した本になります。



民主主義は危機的な状況にある

現在、民主主義は大変危機的な状況にあり、その存在意義を根本から問われています。
例えばポピュリズムの台頭。
「ポピュリズム」とは、大衆に直接訴えて扇動するような政治活動のことです。
ポピュリズムという言葉が世界的な話題になったのは2016年頃で、イギリスのEU離脱とアメリカのトランプ当選が起こった年です。
現代グローバリズムを先導するイギリスやアメリカでポピュリズムが起こってしまいました。

また、世界各地で独裁的な指導者が多くなりました。
独裁的な国家に関しては(早い遅いの違いはあれど)いずれは民主化するだろうという、そんな「常識」がこれまではありました。
しかし、そのような考え方は現在、大きく揺さぶられています。

中国が強引なやり方でコロナを抑え込んだ例などから、緊急事態の際は民主主義より独裁的な指導者の方がスピーディに判断をくだせるのではないか?という疑惑が生じるようになりました。

AIの存在も無視できません。
「エコーチェンバー現象」とは、SNSで自分と意見が合う人同士とばかり繋がった結果、自分が気にいる情報しか届かなくなる現象のことです。
かつてヒトラーは、読書する際に自分にとって都合のいい所だけ切り取って拾い読みしました。
自分自身の解釈を強化し補強するために本を読み続け、自分の演説に都合のいい部分だけを頭に入れていったのです。

AIによって、人々は自分が欲する情報ばかり優先的に接するようになります。
これはヒトラーの読書法のように、特定の思想や価値観を増幅させる危険性をはらんでいます。
そういう時代において、果たして民主主義は生き残れるのでしょうか?


そもそも我々が日常的に民主主義と呼んでるものは、本当に民主主義といえるのか?

近代の領主国家では、市民が全員集まって話し合うのではなく、代表者を選挙によって選ぶことで自分たちの意思を表明する代議制民主主義を採用しています。

アリストテレスは選挙を「貴族政的性格が強い」として否定し、民主主義にふさわしいのは抽選だと主張しました。
古代ギリシアにおいて民主主義とは、一般の市民が平等な立場で発言し、最終的に一票を投じて意思決定を行ったことに由来します。
古代ギリシアの民主主義が「参加と責任のシステム」であったのに対して、近代の議会制民主主義は、選挙で代表者を選ぶという一点に焦点が当てられ過ぎています。
この点を強く批判したのがルソーです。

イギリスの人民は自由だと思っているが、それは大まちがいだ。彼らが自由なのは、議員を選挙する間だけのことで、議員が選ばれるやいなや、イギリス人は奴隷となり、無に帰してしまう

ルソー「社会契約論」

「民主主義は多数決である」←それ、本当かい?

プラトンは、多数者の決定だからといって常に正しいとは限らないと民主主義を批判しました。
プラトンの師ソクラテスは、民衆裁判にかけられ刑死しました。
そのことがプラトンはショックで、民主主義を批判するようになります。
プラトンが「イデア」と呼んだ真理は一つであり、何が善であるかを多数決で決めることは無意味である。
それゆえ、統治は何が善であるか判断できる哲人によってなされるべきであるというのがプラトンの主張でした。

ジョン=スチュアート・ミルは、多数派だけでなく、少数派の声を代表することの意義を強調しました。「真の民主制」を実現するには、少数派の声もまた代表されるべきである、と。
仮に少数派の意見が間違っていたとしても、その批判を受け止めることができなければ、多数派の意見は硬直化し、特定の考えや原則に固執するようになってしまいます。

「民主主義とは多数決だ」というのは間違っていませんが、決して少数派をないがしろにしていいという意味ではありません。少数派の権利と意見を尊重することなしに、民主主義は存続しえません。


さいごに

20世紀において民主主義が広く承認され、民主主義を掲げる国が増えていきました。
しかしながら人々が本当に政治に参加しているのか、権力に対して十分にその責任を追及する体制が実現しているのか、むしろ疑念の声は高まったと言えます。

「民主主義はもう終わりだ」などと言って批判するのは簡単ですが、それだけだとただの思考停止です。
民主主義の歴史は2500年以上に及ぶものの、民主主義が比較的肯定的に語られるようになったのはここ二世紀ほどしかありません。
しかもその期間においてすら、二つの世界大戦と世界恐慌に揉まれて、民主主義は激しく混乱し、存続が脅かされてきました。
そして多くの国が民主主義を自称することで、民主主義の意味は曖昧になっていきました。

民主主義はまだ完成形ではなく発展途上だと言えます。
批判すべき点は批判し、評価すべき点は大切にする姿勢が重要です。

私たちは、自分と関わりのないことには、いくら強制されても力を出せません。これはまさに自分のなすべき仕事だ、自分たちにとってきわめて大切な事柄だと思えてはじめて、主体的に考え、自ら行動する動機が生じます。逆に自分に深く関わることに対して無力であり、影響を及ぼすことができないという感覚ほど、人を苛むものはありません。私たちは身の回りのことから、環境問題など人類全体の問題にまで、生き生きとした当事者意識をもちたいと願っています。民主主義とは、そのためにあるのです。

宇野 重規『民主主義とは何か』

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