『気狂いピエロ』をどう観るか?
ゴダールの代表作『気狂いピエロ』(1965)。
ラストはたしかに鮮烈なインパクトがある。
'ヴェトナム戦争ごっこ'のシーンも印象的だ。
だが、それ以外はよく解らなかった。
識者による解説を見てみよう。
フランス文学者・映画評論家の蓮實重彦氏は『映像の詩学』(ちくま学芸文庫)の中で同作品に触れている。
『勝手にしやがれ』(1959)も『気狂い…』も、主人公が北や南へ'逃走'しているという。
また、『気狂い…』はそれまでの作品と違い、予算が多めで贅沢な作りになっているそうだ。
…結局、よく解らない。
比較文学者・映画評論家の四方田犬彦氏は『ゴダールと女たち』(講談社現代新書)の中で同作品に触れている。
氏は、主演のアンナ・カリーナと監督との関係に注目する。
アンナとゴダールは『気狂い…』の直前に離婚したばかりだった。
映画にも、その雰囲気が反映されているようだ。
また、四方田氏は『気狂い…』をリアルタイムで観て、その映像に圧倒されて以来、同作品は彼にとって絶対的な存在になったという。
…やはり、イマイチ解らない。
映画監督の松本俊夫氏は『表現の世界 芸術前衛たちとその思想』(三一書房、清流出版)の中で同作品に触れている。
公開当時に書かれた批評である。
『気狂い…』はブルジョワ階級の虚無感を描いていると氏は語る。
高度経済成長期にあった日本からすると、たしかに前衛的なテーマだ。
…だが、そこに感動はしない。
最後に、ゴダール本人による『ゴダール 映画史(全)』(ちくま学芸文庫)を見てみよう。
『気狂い…』そのものにも触れているが、やはり解るような解らないような…。
むしろ彼が、映画史における'決定的瞬間'として、『戦艦ポチョムキン』の'オデッサの階段'、『鳥』(ヒッチコック)の公園のシーンを挙げていることに注目したい。
おそらく彼も、そうしたシーンを描こうとした。
その結果の一つが『気狂いピエロ』なのだろう。