情緒主義とは?好きか嫌いかで善悪を語る愚か者。簡単にわかりやすく解説
情緒主義とは、僕たちが「これは良いことだ」「それは悪いことだ」と判断するとき、実はその判断は単なる感情の表現に過ぎないという考え方です。
例えば、「虐待は悪い」と判断するとき、その判断の基礎には、虐待を見たときの強い嫌悪感や、被害者への同情の気持ちがあります。もし人間に感情がまったくなければ、虐待を「悪い」と判断することはできないでしょう。道徳的判断には必ず感情が関わっているのです。
つまり、大言壮語に善悪や倫理や道徳を語る者は、その深層心理に「好きか嫌いか」などの感情や幼少期のトラウマや劣等感が潜んでいるということです。
好きか嫌いかで善悪を語る愚か者は、自分自身の無意識にこのような心理的作用が働いており、無意識下で自分に都合の良い倫理や道徳を創造していることに気が付いていません。
近年のSNSを見ると、以下のような「当事者性」に囚われた者が多いことがよくわかると思います。彼らは「自分の感情」「好き嫌い」を「自分の正義」につなげてしまっている愚かな者が多い印象を受けます。
●フェミニスト
●アンチフェミ
●反AI
●経済的弱者
●れいわ信者
例えば、フェミニストの中には、過去に男性による性被害を受けた者も多いと聞きます。つまり、過去の辛い体験・男性に対する憎しみなどの幼稚な感情が、フェミニズムの原動力になってしまっているのです。
これは知能が低くメタ認知能力が低いことにより起こるのです。大変、愚かであると言わざるを得ないです。
情緒主義から僕らが学ぶべきことは「僕らの正義や道徳は感情にまみれており、全く論理的ではない信用できないものである」ということです。
私達が本当に必要とするものは、当事者性や感情論ではありません。感情と主観を排除し、客観的・論理的で一貫した理路に基づいたフェアネス(公正さ)という神の天秤を水平に保つことが重要なのです。
〇現代社会の考え方
■科学技術・テクノロジー
■事実・ファクト
■統計情報・データ分析
■客観的
■論理的
■法律・明文化された規範
現代社会における課題の分析においては、客観的な事実とデータに基づく議論が重要です。しかし一部の議論において、感情的な反応が先行し、適切な根拠や論理的思考が欠如している状況が見られます。
特に社会政策の議論において、この傾向が顕著に表れることがあります。例えば、ある政策の影響を評価する際に、統計データや専門家の分析を参照せず、個人的な印象や感情的な反応のみに基づいて判断を下すケースが散見されます。これは政策立案や社会的な意思決定において、最適な解決策を見出す妨げとなる可能性があります。
また、メディアやソーシャルネットワークの発達により、感情に訴えかける情報が急速に拡散されやすい環境が生まれています。これにより、十分な検証を経ていない主張や、統計的な裏付けのない議論が広く共有され、社会の認識に影響を与えることがあります。
人間から完全に感情や主観を排除できない場合、意思決定においては「感情が無いAI」によって自動化するなどの改善も考えていかなければなりません。SNSなども人の感情や主観によるデマや陰謀論が発生しやすく、社会にとって有害な事が多いため規制をしていく必要もあるでしょう。
人類の社会運営において「立場」「主観」「感情」「バイアス」「ポジショントーク」などの「情緒」が入り込まないような仕組みを構築していく必要があります。
つまり、僕らは自分自身の善悪の判断を信用せず、感情の無いAIや機械に判断を委ねていく必要があるのです。
情緒主義とは?感情により無意識で善悪の判断をしてしまう気持ち悪さ
情緒主義は、道徳的判断や価値判断が実際には感情や態度の表明に過ぎないとする倫理学上の立場です。代表的な提唱者としてA.J.エイヤーが挙げられ、論理実証主義の影響を強く受けています。
主な特徴として以下が挙げられます。
道徳的言明は検証不可能であり、事実命題ではないとする
「善い」「悪い」などの価値語は感情的反応の表現に過ぎないとみなす
道徳的判断は主観的な感情の表出であり、真偽を問えないとする
倫理的言明は記述的意味ではなく、感情喚起的意味のみを持つとする
この考え方が生まれた背景には、科学的に証明できることを重視する考え方がありました。
「良い」「悪い」という判断は科学的に証明することができません。そのため、道徳的な判断は事実の問題ではなく、単なる感情の表現だと考えたのです。
情緒主義の正しさは、以下のような具体的な事例からも確認できます。
戦争や暴力、差別などの問題について、私たちは強い道徳的な判断を下します。これらの判断の背景には、必ず怒りや悲しみ、共感といった感情が存在しています。もし感情を完全に排除して、純粋に理性的な判断だけで考えようとしても、なぜそれらが「悪い」のかを説明することは困難です。
また、情緒主義は人々の間で道徳的な意見が分かれる理由も、説得力をもって説明することができます。例えば、死刑制度について、ある人は「残虐な制度だ」と考え、別の人は「正義の実現に必要だ」と考えます。この違いは、単なる理性的な判断の違いではなく、根底にある感情や価値観の違いから生まれているのです。
情緒主義の重要な特徴は、道徳的な言明が科学的な事実の記述とは本質的に異なるものだと指摘した点にあります。「殺人は悪い」という判断は、「水は100度で沸騰する」という科学的事実とは明らかに性質が異なります。道徳的な判断は、客観的な事実というよりも、人間の感情や態度の表現なのです。
このような情緒主義の考え方は、現代の脳科学や心理学の知見とも整合性があります。研究によれば、道徳的な判断を行う際には、感情を司る脳の部位が活発に働いていることが分かっています。
つまり、道徳的な判断には必ず感情が関与しているという情緒主義の主張は、科学的にも裏付けられているのです。
人類の歴史において、集団心理による非合理的な判断と行動は、深刻な影響を及ぼしてきました。特に集団での無意識的な善悪の判断が、時として取り返しのつかない結果を招いてきた事実は、私たちに重要な教訓を示しています。
歴史上の魔女狩りは、この問題を象徴的に表す出来事です。
17世紀のセーラム魔女裁判では、根拠のない疑惑や噂が瞬く間に広がり、多くの無実の人々が処刑されました。この事例で特に注目すべきなのは、当時の人々が自分たちの行動を正義だと確信していた点です。彼らは自分たちの感情的な判断や行動が誤っているとは全く気付いていませんでした。
このような集団的な判断の歪みは、現代社会でも様々な形で表れています。SNSでの炎上現象や、特定の個人やグループに対する不当な批判や攻撃は、その現代版と言えるかもしれません。人々は自分たちの行動が正義に基づいていると信じ込み、その過程で重要な事実確認や論理的思考を怠ってしまうことがあります。
特に懸念されるのは、このような判断の歪みが集団の中で増幅される傾向です。個人レベルでは理性的に考えられる人でも、集団の中では感情に流されやすくなります。これは人間の社会的な本質に根ざした現象であり、完全に避けることは困難かもしれません。
また、この問題の不気味さは、誰もが潜在的に加害者になり得る点にあります。自分は理性的で公平な判断ができると信じている人でも、特定の状況下では感情的な判断に陥る可能性があります。この自覚のなさこそが、問題をより深刻にしている要因の一つと言えるでしょう。
こうした人間の暗部は、私たちに不快感や恐怖を感じさせます。この問題に対処するためには、まず自分たちのこうした傾向を認識し、向き合うことが必要です。具体的には、自分の判断が感情に流されていないか常に意識的に確認すること、複数の視点から物事を見る習慣を身につけること、そして何より、自分の判断が間違っている可能性を常に念頭に置くことが重要です。
さらに、社会システムとしても、個人や集団の感情的な判断が暴走しないよう、適切なチェック機能を設けることが重要です。法的な保護制度や、第三者による監視システムなどが、その例として挙げられます。
結論として、人間の感情による非合理的な判断と行動は、確かに気持ち悪さや不安を感じさせる現象です。しかし、その気持ち悪さから目を背けるのではなく、それを認識した上で、どのように対処していくかを考えることが重要です。
感情を完全排除し理性的に科学とデータで物事を考える重要性
人間は本質的に感情的な生き物です。私たちの意思決定や判断の多くは、意識するしないに関わらず感情に大きく影響されています。
しかし、この感情的な判断は時として誤った結論や非合理的な行動につながることがあります。
特に現代社会において、複雑化する諸問題に対処するためには、感情を可能な限り排除し、科学的根拠とデータに基づいた理性的な思考が不可欠となっています。
科学的思考の最大の利点は、その客観性と再現性にあります。
感情による判断は個人の主観に左右され、状況や気分によって大きく変化する可能性がありますが、科学的なアプローチは誰が行っても同じ結果が得られることを前提としています。これにより、より信頼性の高い結論を導き出すことが可能となります。
例えば、医療の分野では感情的な判断を排除し、エビデンスに基づいた治療法の選択が標準となっています。かつては個々の医師の経験や直感に依存する部分が大きかった医療判断も、現在では大規模な臨床試験のデータや統計的分析に基づいて行われるようになっています。これにより、治療の効果や安全性がより正確に予測できるようになり、患者の生命予後の改善につながっています。
ビジネスの世界でも、データドリブンな意思決定の重要性が増しています。かつての経営者の勘や経験に頼った意思決定から、市場データや顧客行動の分析に基づく戦略立案へと移行しています。これにより、より精度の高い予測と効果的な戦略の実行が可能となっています。
さらに、社会問題の解決においても、感情的な議論ではなく、データに基づいた冷静な分析が必要です。例えば、環境問題や貧困問題などの複雑な社会課題に対しては、感情的な反応や理想論だけでなく、具体的なデータとエビデンスに基づいた解決策の検討が求められます。
重要なのは感情と理性のバランスを適切に保ちながら、より客観的で科学的な思考を心がけることです。特に重要な決定を行う際には、まず感情的な反応を意識的に抑制し、利用可能なデータや科学的知見を十分に検討することが推奨されます。
また、科学的思考を実践する上で重要なのは、自身の認知バイアスを認識し、それを最小限に抑える努力をすることです。人間は誰しも確証バイアスや思い込みの影響を受けやすいものですが、科学的方法論はこれらのバイアスを制御するための有効な手段となります。
さらに、データリテラシーの向上も重要です。現代社会では膨大な量のデータが利用可能となっていますが、それらを正しく解釈し、意思決定に活用する能力が求められます。統計的思考や数値データの分析能力は、理性的な判断を行う上での基礎となります。
理性的思考の実践においては、結論を急がず、十分な証拠が集まるまで判断を保留することも重要です。感情的な判断は往々にして性急な結論につながりますが、科学的アプローチでは不確実性を認識し、必要な情報が揃うまで結論を延期する勇気が必要です。
現代社会において科学的・理性的思考の重要性は増す一方です。
複雑化する問題に対処し、より良い解決策を見出すためには、感情を適切にコントロールしながら、データと科学的知見に基づいた判断を行うことが不可欠となっています。このような理性的思考の実践は、個人レベルでの意思決定改善だけでなく、社会全体の問題解決能力の向上にも貢献することが期待されます。
人間社会における感情の制御と科学的思考の導入は、社会の効率性と進歩において極めて重要な役割を果たします。感情に基づく判断や行動は、しばしば非合理的な結果をもたらし、社会システムの最適化を妨げる要因となっています。
残念ながら、僕たちの善悪判断や倫理観は、このような客観的で論理的な根拠に基づいた「機械化社会」「合理化社会」の発展を阻害する可能性があるのです。
僕らが持つ幼稚で原始的な感情は、現代社会では時代遅れのお荷物である事を、僕ら自身が自覚し反省すべきです。
科学的アプローチと論理的思考を社会システムの中心に据えることで、より効率的で公平な資源配分が可能となり、社会全体の生産性向上につながります。また、感情的な対立や争いを抑制することで、より建設的な議論と意思決定が促進されます。
データと証拠に基づく政策立案や意思決定プロセスの確立により、社会問題への対応がより効果的になります。これからの社会では、感情的な反応ではなく、客観的な分析に基づく解決策の提示が重要であり、より良い社会の実現に寄与していくでしょう。
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