在野研究一歩前(48)「読書論の系譜(第三十回):内村鑑三編『偉人と讀書 讀書に關する古今偉人の格言』(山縣圖書舘、1900)⑪」
今回も前回に引き続き、内村鑑三編『偉人と讀書 讀書に關する古今偉人の格言』内で紹介されている、「偉人」の「読書」論を見ていきたいと思う。
●ゲーテ(ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ)
「此世に在りて善事を爲さんと欲する者は非難攻擊に從事すべからず、吾人は毀つよりは寧ろ建設すべきなり」(P49)
⇒ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテは、ドイツの文学者。小説『若きウェルテルの悩み』などにより、シュトゥルム‐ウント‐ドラング運動の代表的存在となる。また、ドイツ古典主義の確立や、自然科学研究の業績などでも知られる。上記の『若きウェルテルの悩み』の他、『ファウスト』『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』などの名作を残す。
ゲーテは語る。
この世界で「善いこと」をなそうと欲している者は、非難攻撃を行なってはならない。私たちは「毀す」よりも「建設する」方に力を向けるべきである。
―ひたすら相手に議論をふっかけて、マウントをとろうとする人間が多く見られる現代だからこそ、より響いてくる言葉である。おそらく、内村鑑三がこのゲーテの言葉を採録したのは、上記の「建設」において「読書」が重要な役割を果たすと判断したためであろう。
●ウィリヤム・ゴツドウイン(ウィリアム・ゴドウィン)
「書籍は人間に取りて最も榮譽ある總てのものヽ蓄積所なり、文學は其内容よりいへば人間界と動物界との間に横はる一大分界線なり、故に萬物は讀書を好む人の掌中にあり」(P51)
⇒ウィリアム・ゴドウィンは、イギリスの政治評論家。無政府主義の先駆者として知られる。妻は女権論者のメアリ・ウルストンクラフト、娘は小説『フランケンシュタイン』の作者として知られるメアリ・ウルストンクラフト・ゴドウィン(メアリ・シェリー)である。主著は『政治的正義』。
ウィリアム・ゴドウィンは語る。
書籍は人間にとって、最も誇るべき、あらゆる事物に関する情報が集まる蓄積所である。「文学」は、その内容を見ても分かる通り、人間界と動物界を明確に分ける境界線である。そのため、万物は「読書」を好む人々の手の中にある。
―ゴドウィンの言葉の中にある「人間界」と「動物界」の区別は、ただ生物的な意味としての「人間」と「動物」の違いを意味しているだけでなく、「人間」の中に存在する「自身が無智であることを自覚していない人間」に対しても、「動物」という表現を用いていると考えられる。「読書」は、人間が人間として存在し続ける上で、必須の行為なのだ。
●アイザック・ヂスレーリイ(アイザック・デ・イズレーリ)
「時には自ら記者なるを忘れてたヽ人たるを思ふ著者は吾人の愛讀すべきものなり、己が肺腑の情を筆に寫す者は必ずや人の肺腑に訴ふ
讀者は文章の供する快樂は凡て其作者に依るものと思ふべからず、何となれば書が快樂を供せんが爲めには、讀者自身も亦之に何にか寄贈する所なかるべからざればなり。世には讀書慾なるものありて、作者の之を讀者に與へ能はざるは、最も熟練したる料理人が客人に食慾を與へ得ざるが如し」(P51~53)
⇒アイザック・デ・イズレーリは、イタリア系セファルディム・ユダヤ人の作家。自由党のウィリアム・グラッドストンと並んでヴィクトリア朝の政党政治を代表する人物・ベンジャミン・ディズレーリの父である。
アイザック・デ・イズレーリは述べる。
私が好むのは、作家が自身が作家であることを強調しながら著した作品ではなく、一人の人間として「自身が人間である」ことに思いをはせながら著された作品である。このような「思い」をもつ作家の言葉には、かならず他の人の心に響く力がある。
読者は、読書によって得られる快楽が、ただ一人作者によって生み出されたものと思ってはならない。その「快楽」の発生には、読者も寄与している。世には読書欲というものがあるが、作者がそれを読者にあたえることができない場合、それは最も熟練した料理人が、客人に「食欲」を抱かせないようなものである。
以上で、「在野研究一歩前(48)「読書論の系譜(第三十回):内村鑑三編『偉人と讀書 讀書に關する古今偉人の格言』(山縣圖書舘、1900)⑪」」を終ります。お読み頂きありがとうございました。
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