ホンダ

あほでもなんでも踊らにゃそんそん

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あほでもなんでも踊らにゃそんそん

最近の記事

ピンクのツルツル

何日も書かずにいました、三日は空いたでしょうか、習慣は三日で消えるといった人間が平気で寝床に突っ伏して時間をぐちゃぐちゃに混ぜてドブに捨てていました、適当な人間は平気でこんなことをします。頭を丸刈りにしたい衝動を抱えて二十四時間は経っています、衝動的に坊主にしたくなるんです昔から、一度気になり始めたらもう止まらないんですね、四六時中髪が気になります、その存在が許せなくなるんです、さっさと刈り上げて、どうせ髪の毛はすぐ生えてきますから、すっきりした方がいいんでしょうが、日常生活

    • 偽札ブリコラージュ

      毎日をぶつ切りにして書いていたが、これまで書いたことは自分から自然と出てきたものだし、書くことで半強制的に取り出されたものを自然というのかは別として、わたしの意思とは関係なくこの世に生まれ今生きていることも自然だとされるだろうから、意思も強制されたかも関係がなく自然は存在するのであって、それは奇跡とも呼ぶかもしれないが、書いたものはやはり自然なものなのだ。その自然に生まれたものはつまりわたしが蒔いた種であってそれに水をやり手間をかけるのはわたしの仕事とも言える、勝手に世話をし

      • 文字文字インベーダー

        結局楽しいことしなきゃ始まらないんですよね。楽しいを優先させる、それからはやっと、嫌だと思ってたこともそんなに嫌じゃなかったとか気づくんですよ。なんとなく嫌なことって簡単にひっくり返ったりします、いつも通り適当ですが、手が止まらないってことは本当らしいですわたしの中では。直感と当てずっぽうってどうやって見分けるんでしょうね、見分けるのも直感に拠りませんか?結局は信じられるか自分を、ですね、いつもの自己啓発の言葉が出てきました、自己啓発の定義をしていませんでした、いや単に知りま

        • 義務感が元凶

          なぜ寝る直前にならないと書けないのか、書かないのか、が正しいのかもしれないが。時間はたっぷりあった、書かなきゃな、も頭の隅にあった、でも書かなかった、一日が終わる、その前にやらなければ。夏休みの宿題、怠けた一日の風呂。いつだって期限ギリギリにならないと、追い詰められてやっと動くのだ、そして間に合わない。何もかもに間に合わない、そして死にたくないと叫ぶのは辛い、わたしがわたしに脅しをかける、それでも動かない。わたしを飛び越えて動き出すのが唯一の方法だ。飽きた時は飽きたと叫ぼう、

          毎日が楽

          一日空きましたね、空けた、が正しいかもしれません。気持ちが悪かったという言い訳はすぐに出てきますが、書こうと思えば書く時間はあったわけでやっぱり書かなかったんですね自分の意思で。寝る時も朝起きた時も書かなかったなと思うくらいには罪悪感というか、いい気持ちがしなかったんですね、大したことはないと思っていましたが、実際に大したことは書いていないのは紛れもない事実で、それでも書いていたことでわたしの中の何かが安心し納得していたんですね、一日の中で一応やり遂げたことリストに入っていた

          下品上品

          真っ暗な部屋にキーボードが白く光ってアルファベットが浮かんで見えます。一度寝たところ、そうです今日はいいかともう寝たんですがやっぱり書いとこうと起き出してパソコンを開きました、黒いディスプレイに文字が並んでいきます。眠いというか寝かけた頭です。書いたら寝られなくなるかもしれません、たいしてキレない、回らない頭でも一度回り出したら止まるのに時間がかかるものです、熱だって帯びます。もう諦めて寝ようとしたのはつまらなくも感じていたからでしょう、毎日書くを続けるために書いていたからで

          カカオ70%

          もう今日はいいよ別に明日書くんだからさと寝転んでから開いたパソコンの前です今。ほとんど諦めたというか諦めるいうと大袈裟ですね、まあいいかと思うことありますよね、それです。そして本当にまあいいかで済ませていいんですよ、大抵のことは。この日記でもない何と呼べばいいか分からないこれ、これだって大抵のことの一つです。今日という日は二度とやってこない、一日一日が大切だ、その通りです、まごうことなき真実です、しかし毎日一日一秒まですべて大切なら、すべてがどうでもいいとも言えるわけです。な

          カカオ70%

          ポロッと荒地

          五日目です。危なかった、いや自分でもわかっていました。書き始めなきゃ書くことはないのに放っておいてもう寝るぞ、が今です。やっと座ってパソコンを開きます。少し自分のリズムが乱れて、乱されてといいたくなりますが、何が起こっても決めるのはいつも私なのです。マインド次第です、マインドゲームです。私の好きなアニメ映画です、アニメ映画って単語はあるんでしょうか、長編と言えばいいのかわかりませんが、とにかく人生はマインド次第、また出て来ましたね、自己啓発の言葉が私の中に引っかかっていて逆さ

          ポロッと荒地

          フィクションノンフィクション

          四日目です。わたしにしては長く続いています。嫌にもなっていません。きっと書くことは人を楽にするんですね、だから続けられます。みんなも書いたらいい、ここをみている人はそもそも書く人がほとんどですねきっと。すぐに手が止まりました。思ってもないことを書いたからです。みんなも書いたらいいなんてわたしは思っていません、書きたい人が勝手に書いたらいい、こう思っています。流れに任せるのではなく、流れに流されようとして書くとすぐに嘘が混じります。そこで止まってくれるわたしは優秀です。わたし個

          フィクションノンフィクション

          繊細だと思い込む

          はい三日目です。三日坊主とはよく言ったもので、辞めたい習慣はまず三日間断つことでやめられると聞きました。逆に三日も続けば何事もいい方で、すいません集中ができずにぼーっと書いています。謝る必要などないのに謝ってしまいました。対面しているように、あなたに向かって書いているので、申し訳なく感じて謝ってしまう訳です。普段からすいません、が染み付いているのでしょう、これもまずは三日を意識して改善していきます。そう、目的は書くことでしたね。そこに新しく目標をつけてみましょう。昨日書き終え

          繊細だと思い込む

          わたしはわたしに嘘をつく

          さて毎日書こうと意気込んで今日になった訳ですが相変わらず書きたいことはありません。これまでも書きたいことはありませんでした。しかし書いているうちに書きたいことが、いや書くことが出てくるんですね。鶏が先か卵が先か知りませんけど、どちらにしろ一度生まれたらまた新たなものを生み出すようです。やる気なんてものはなくやり始めてからやる気が湧くんです。すぐに自己啓発というか、生産性を上げる小技が出てきます。すいませんと書きかけて、はて、誰にわたしは謝っているんでしょうか。わたしはわたしに

          わたしはわたしに嘘をつく

          ハックよりジャック

          「書くことがなくなってからが始まりだ」と偉い作家が言っていたけれど、はなから書くことがない人間はどうしたもんか、スタートラインにも立てないのか。偉い、と書いたけど使うのも使われるのも嫌な言葉だ。小さい子供に偉いねえというおばちゃんに悪意は一つもないだろうが、小さいわたしは偉いってなんだよと心で悪態をつく。偉いとされる人が軒並みつまらなそうに見えたのもあるいは関係あるかもしれない。つまらないのは嫌いだ、つまらないから。そうして歳を取ってちゃんとしっかりとつまらなくなった自分がい

          ハックよりジャック

          心臓とラム酒

          くっきりと線を掘ったように耳たぶにしわがある。 毛細血管が集まり脂肪の多いが硬くなりしわができるのは動脈硬化の疑いがあるらしい。心疾患で亡くなる確率が3倍になるデータがある。夜、布団の中で横を向くと時々心臓が痛む。きゅっと絞られて浅くなった呼吸に気づき深呼吸をしても痛みは鎮まらない。健康への気遣いはない。酒も飲む、タバコも吸う。余って貰ってきた毒々しい紫のケーキを食べたら眠くなり、少しふらつきながら横になるといつの間にか眠っていた。夢は思い出せない。意識は目覚めたが、おきあ

          心臓とラム酒

          ありとかげ

          書き出しただけでも偉い。三歳児を褒めるように、いや子供を舐めちゃいけない、嘘の言葉はすぐバレる。書き出して偉いと言われたわたしは喜んでいてなんの言葉も素直に受け取ってしまう。言葉は人を強くも弱くもする、力がある。いちいち全ての言葉を受け止めていたら腹の中はいろんな色が混じり合ってぐちゃぐちゃだ。 特別なことはない、といえばそうだ、仕事場と家の行き来で一日が終わり、週が終わり月が終わる、そうして一生を終える訳にはいかないし、終えることもない。平坦でなんでもないなんてない嫌なこ

          ありとかげ

          三日坊主

          三日も書かなければ元の木阿弥だ。元の木阿弥なんて口に出したこともないのに、書いているとふと浮かんでくるから不思議だ。どこかで読んだ言葉がわたしの中の引き出しに残っている、というのでもない。スッと取り出してみるほど整理もされていないし、出そうと思って出したわけでもない。海に浮かんだペットボトルが波の合間に見えたり隠れたりするのを、興味に惹かれて近づいてただのゴミだと気づく。見つけた瞬間に昂りが一気に萎んでしまう。喩えようとして、喩えようとしたのか、書こうとすると失敗する、失敗か

          黄色い歯

          もう一日が終わろうかとして、いや終えたとして寝床に入る段になって書き始める。このままでは終われない、何もしていない書いていないと駄々をこねる子供のように悪あがきをする。もう命が終わる時に、ああこれから死ぬのだとなって一生分の後悔に押しつぶされ嫌だ!と叫んでいる。病院ではもう死ぬであろうお爺さんが死にたくないと泣き喚くことがあるらしい。自分の時間を生きずにもうそれがほとんど残されていないと知ってそれがどうしようもないと知っていてでも諦めはつかない。諦めがつく人は一体どれだけいる