心臓とラム酒
くっきりと線を掘ったように耳たぶにしわがある。
毛細血管が集まり脂肪の多いが硬くなりしわができるのは動脈硬化の疑いがあるらしい。心疾患で亡くなる確率が3倍になるデータがある。夜、布団の中で横を向くと時々心臓が痛む。きゅっと絞られて浅くなった呼吸に気づき深呼吸をしても痛みは鎮まらない。健康への気遣いはない。酒も飲む、タバコも吸う。余って貰ってきた毒々しい紫のケーキを食べたら眠くなり、少しふらつきながら横になるといつの間にか眠っていた。夢は思い出せない。意識は目覚めたが、おきあがれない、力が入らない。一時間はたっただろうか、三十分か、頭は重く、枕に沈み込んで、ぼんやりとして回らない。あつい。ヒーターをつけっぱなしだ、ジャケットも着たままだ。何もしていない、食べて寝ただけだ、昨日の仕事終わりからなにも。
タバコが切れてもう何となくやめようかと思いながら決断はできない。外に出よう、歩く理由にタバコを買うのはうってつけだった。五分も歩けばコンビニがある。店員は愛想のかけらもなく、挨拶にも注文にも返事はなく後ろの棚を開けて手に取ったタバコをレジに放る。もごもごと何かを言って話しかけてきたのかと顔を見たが、目線はレジの上に向いたままで耳につけたイヤホンで電話をしているのだ、ありがとうと言ってタバコを手に取って店を出た。もちろん返事はない。
前回来たのは2週間ほど前だ、夜の九時、店が目に入ると入り口の面した道路にフードを被った男が、パーカーは汚れて浮浪者らしき身なりだ、店の前を行ったり来たりしている。私の前に中年の夫婦が店に入ると男はそのあとを追っていった。嫌な感じがしながら、まさか強盗ではないだろうと開いたままのドアから店に入る。夫婦がレジのあたりで物色しているから、買う気もない清涼飲料水の冷蔵庫の前をぶらつく。会計をはじめた夫婦に男が近づき喋りかける、聞こえないが食べ物を買ってくれと頼んでいるようで、夫婦は怪訝そうな顔をして断った、振り向きざまにこちらをみた男に私は首を横に振った。
今日も無愛想な店員はイヤホンをしていて喋らない、去り際に話した言葉はまた電話の向こうへだった。歩いていると鬱屈が少し晴れる。歩道沿いの右側に広場があり芝生の緑が目に入って一度通り過ぎてから戻ってベンチに座った。見下ろす先には海が、いや今思えば川だ、流れているのが建物の影に隠れてほんの少し覗ける。手前には広場を鉄網が囲っていてその向こうには緑の大きなゴミ入れがありゴミ袋が山になって閉まらない蓋が半開きだ、入りきれなかったゴミ袋たちが周りに散らばっている。道路脇に停まっていた車が海の方へ坂を下っていく。買ったばかりのタバコを一本巻いたがおいしくない、吸わずに我慢していた分だけまずかった。聴いていたラジオを止める。背後の歩道を通る通行人が気になる、タバコが臭いだろうか。気にしてもしょうがない、火を消すつもりはない。建物のふちと木々に区切り取られた海の水色を、それの動いているのを眺める、着込んでいてもほんのり冷たい風が肌寒いが気持ちいい。酒を飲みたいとふと思い、それでいいのかとすぐに考え出す。直感を思考で押し込もうとするその癖が自分を苦しめている。帰りに酒屋に寄ろうと決めた。
酒屋に入って正面に新商品の棚があり、一瓶だけ残ったウイスキーの後ろにトレーナーが飾ってある。
naked life
と灰色に白字で書かれていた。セールで安くなっていてよっぽどこれにしようかと思ったが奥の陳列棚に進む。広告の品の黄色い貼り紙がたくさんだ、ラム酒が目に入り、並びを見ると棚の全てがラム酒だ、こんなに種類を揃えてるのか。ラムコークが好きだ、酒に詳しくはないからバーに行けば大抵頼む、モヒートも好きだ。ジャマイカンラム、マンゴー&ジンジャー、しばらく迷ってバカルディにする、結局安牌だ、ホワイトでなくゴールデンラムにしたのが少しの冒険。いや安牌か冒険かもわからない、知らないことを知ったふうにわたしは言う。
帰り道に誰もいないサッカー場が目に入り、ベンチがあるだろうと芝生の緑に踏み出す。フィールドの向こう、反対側にテニスコートが柵越しに隣接していて中学生だろうか、寒いなか半袖短パンでラケットを振っている、二十人ほどが打ち合っていてコーチらしき大人が子供たちの周りをゆっくり歩き指示を出している。コートの方に向かって据えられた木製のベンチに座って開けたラム酒を一口含む。良かった、おいしい。左のゴールのすぐ後ろに茂る木々の向こう、オレンジと紫が混じり合って少しづつ暮れていく空に黒くくっきりとした木の影が綺麗だ。テニスボールの音は聞こえない。コートを素早く移動する音も声も聞こえない。ボールの動きに合わせて動く人間たちを眺めている、サッカーをしていた、小学生だ、別に好きではなかった、ふざけて休み時間にするサッカーが好きだった。なまじ上手くできたから選抜されて遠くの練習場に車で向かう、ライトアップされたグラウンドでそれぞれ集まってきた小学生たちが球を追って走り回る。帰りか行きかスピッツのハチミツを聴いていた、どちらもか、行きたくないと思いなからいつもより余計に曲の中に潜り込んでいた。あっという間に暗くなってくる、風に冷えた体とラムで温められた内側が不釣り合いだ。犬を連れた女が後ろの木立を歩いていた。もう夕方を超えた、夜の足が地に着く前に家に帰ろう。
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