見出し画像

ハックよりジャック

「書くことがなくなってからが始まりだ」と偉い作家が言っていたけれど、はなから書くことがない人間はどうしたもんか、スタートラインにも立てないのか。偉い、と書いたけど使うのも使われるのも嫌な言葉だ。小さい子供に偉いねえというおばちゃんに悪意は一つもないだろうが、小さいわたしは偉いってなんだよと心で悪態をつく。偉いとされる人が軒並みつまらなそうに見えたのもあるいは関係あるかもしれない。つまらないのは嫌いだ、つまらないから。そうして歳を取ってちゃんとしっかりとつまらなくなった自分がいた。ちゃんとしていないくせにちゃんとできないくせに、偉くないくせにちゃんとした大人のふりどころか成り切ろうとしていた。失敗してさらに苦しむなら、ちゃんとしていない自分を認めることだ。こうやって反省をここに書いてしまうくらいにはつまらなくなってしまったのだ。まずは捨てることだ、空いたところにしか新しいものはやって来ない。とここまで書いて休憩して一服しに行きました。休憩するほど疲れてもいない、しょうみ10分くらい書いたところでほっぽり出したくなったのは書いていてつまらないからですね。つまらないこと書いてんなと書いた本人が思ったらそりゃその時点で終わり、中断、ジエンドです。さっきまでと変わって誰かに話すように書き出したのはその方が書きやすいからです、思いつきでなんでも始めてしまうわけです、そしてすぐ飽きる。そのセットの繰り返しでできたのがわたしなんですね。それを中途半端と呼ぶ人もいるかもしれない、根性なしがとも言われそうだ、でもそんなことはないと自分では思うわけですよ。例えばギリギリの水と食料でどこまでも歩けと言われたら誰よりも歩けそうな気がするんですね。歩けるじゃなくてそんな気がするってところが腑抜けみたいで嫌になりかけましたけど、まあ歩けるわけです。そんな指示を出す人も意味もないし、金銭も価値も生まないわけでだから誰もやらないんだ。確かにそうかもしれない。でも意味がないからやれない、より、意味がないのにやれる、の方が根性ある気がしませんか?残念ながらもうこの話にも興味がつきかけています。書いた通りにわたしはすぐに飽きるんです。人より根性あるんだぜい、と宣言するようなやつはダメですね、黙って行動、背中で語る。それが根性のある人間の姿でしょう。とりあえず意味もないことをごちゃごちゃと書き続けることを続けてみましょう。語り口調というんですか、これ。これはあなたに向けて書いているんです。誰も読んでいなくても、実際ほとんど誰も読んでいない訳なんですけど、これを読んでいるあなたが今まさに書いているわたしの目の前にいる訳なんですね。空に向かって書くよりよっぽど書きやすい訳です。何もない空間に向かって喋りつづけたら通報されて警察に保護されるのが現実という世界ですから、異常な訳ですねそのやり方は。最近では空と喋る人も増えたのか、ほっとかれていますけど、通りを行く人は異常なものとして避ける訳です。訳です、がわたしの口癖なんだと今気づきました。理屈コネコネやろうみたいで嫌ですね。いや実際に理屈をコネコネしてるんですわたしは。恥ずかしい、とも思わない。しょうがないんです。わたしはわたしを、そのままに、ダメでも気持ち悪くても受け入れるしかないんですね。始まりはそこからです。また自己の啓発が始まりました。本当をいうと自己啓発が何かと聞かれてもわかりません、適当に言葉を使ってしまった訳ですね。また訳が出てきました。自己啓発だとか多様性だとか、よくわからない言葉は使わないに越したことはありません。よく分からない言葉はわたしの思考をよく分からなくさせます。もっと酷いことに、分からないことを分からないままにさせてくれません。それはとっても危険なことだ。思考をジャックされる訳です。ジャックよりハックの方が今っぽいかもしれない。現代は情報社会ですからハイジャックとか肉体的な「ジャック」よりハッキングの「ハック」の方がしっくり来ます。情報社会ですからなんて言ったのもどっかで聞いたことをさも当然のように使っていてこれはわたしの頭がハックされている訳です。訳です以外にしっくりくる言葉、ありませんか?情報の中に社会などありません、twitter、X内に社会などないのです、画面に浮かぶ記号に騙されてはいけません。あくまで対人、対面でコミュニケーションです。ハックでなくジャックの側にいるのです。わたしはそうしたい。

いいなと思ったら応援しよう!