ポロッと荒地
五日目です。危なかった、いや自分でもわかっていました。書き始めなきゃ書くことはないのに放っておいてもう寝るぞ、が今です。やっと座ってパソコンを開きます。少し自分のリズムが乱れて、乱されてといいたくなりますが、何が起こっても決めるのはいつも私なのです。マインド次第です、マインドゲームです。私の好きなアニメ映画です、アニメ映画って単語はあるんでしょうか、長編と言えばいいのかわかりませんが、とにかく人生はマインド次第、また出て来ましたね、自己啓発の言葉が私の中に引っかかっていて逆さにした靴からポロッと落ちる石みたいに転げてくるんです。どうせなら美しい詩の言葉でも出てくればいいのに、いかんせん私の中に美しい言葉はあまりありません、そもそも詩は美しいものなのか、わたしはたいして知りません。読んだ数も多くない、好きな詩は宮沢賢治のインドラの網です、むしろそれしか知らないくらい、まだまだ読んだことのない詩が存在していて幸福ともいえます、そしてすべての美しい詩を知ることもなく私はいつか死ぬわけです。
何を書いていたんでしょうか、書き出しからうまく、うまくというのは自分にとっての本当をそのままに、書ける時は来るのでしょうか、楽しみです。毎日書いていればそんな日も来ることは確実です、自己満足でいいのです、むしろ自分以上に満足させるべき人はいるのでしょうか。冒頭に書いたように今日が終わる時になって、今日のうちにやらねばならないことが残っていてそれはまるで宿題のようでした、やらされるというのはある意味で楽なのです、何もない荒地にポツンと置かれお前の自由にしろと言われても風の中に一人佇んでしまいます。あっちにすすめと言われた方が楽なのです、決められる不自由さは囲まれる自由さであり、人はそれを好む。自由からの逃走はそんな本なのでしょうか、読みたいと思ったまましばらくが経っています、積読というやつですか、新しい言葉は常に生まれ続け、いや誰かがどこかの人間が産み続け、現実にモノを増やしていく、エントロピーは増大し世界はカオスに、、、すいません今日は知ったかぶってしまうようです、他人事のようですがわたし事ですね、素直なすいませんが初めて出た気がします、初めてというのはいいです、それは新しい言葉が生まれるのと同じくらい素晴らしくて面白い。知ったかぶりの話でしたね、エントロピーだとかカオスだとかはかいつまんで聞いて読んで自分なりに解釈、理解したつもり、の程度です、つまりよく知らないという事です。よく分からない言葉を使うなと言っておきながらこの有様です、しかしわたしは適当な人間だからしょうがない、むしろしっかり理解した言葉だけを使えと言われて上手く書ける気がしません、わたしは何もしっかり理解などしていない。そんな自信は見当たりません。手が止まりました、いつもならすぐにここに嘘があると分かります、しかし今日はわからない、ここまでの全てが嘘なんでは、本当じゃないのではと疑ってしまいます。ぼーっと書いているのでしょうか、そうかもしれない、一瞬頭によぎったベッドに横になって、その柔らかさを感じたいとわたしが言うのです。まるっきり集中できていなかったのでしょう、わたしはこれを読み返しません、すべて消し去りたくなるからです、書いたものを読み返すと恥ずかしく消したくなるのです、それは本当を書いた証かもしれない。いえ、ただひどい文章だというだけですね。また次を書きます。