執着と諦念と許しの葛藤。

執着と諦念と許しの葛藤。

最近の記事

人生の伏線

2024年もあとわずかであるが、1カ月は残っている。 だけど、日々はそれでもあっという間に過ぎ、いつの間にか残り1カ月となった。 そんな時の流れの早さもあり今年は不思議な1年だった。 気づけば31歳になっていた。30歳じゃなくて31歳だ。 とっくに30代はスタートしていた。 社会に出て8年が経った。社会人になったつもりは今もないが、若さや右も左も分からないという言葉は使いにくくなった。 売り手市場の時代に大学を内定無しで卒業し、1年くらい無職し、職歴も刻んだ身だが、年齢に見

    • 自分と向き合い続けた先

      CDショップでとあるアーティストのアルバムを買った。 そのアーティストさんの1stアルバム?でシンガーとしてデビューしたての方だった。 7年くらい前の夏。まだサブスクリプションで音楽を聴くことが世の中に馴染んでない頃だったと思う。 買った理由は、某アニメのエンディングテーマソングになっていたから。 曲が良かったから何となく興味がある程度だったが、何となくアルバムを手にしていた。 メンヘラチックな歌詞。けど、あまりにも痛切で俺の感受性に刺さるものだった。 ファッションメンヘラ

      • スマホに残るけど、心に残らない

        三越前のモネ展に行ってきた。 これが本当にガッカリなイベントだった。 美術のことは何にも知らないけど、イベントのメインディッシュは印象派の画家たちの作品を投影機で映してるだけに過ぎなかったからだ。 ぱっと見では面白そうに感じたが、原画を置いてるわけでもなくリアリティ、ライブ感もない味気のないものだった。 導入の画家たちの紹介、概略の方が面白かった。 個人的に気に食わなかったのが、メインの作品を投影する部屋だった。 クラシックをBGMにアロマで香りをつけてリアリティを出すと

        • 退職代行について思うこと

          2日前、前の会社でお世話になった先輩、Tさん(仮名)からLINEが入った。 聞きたいことがあるから時間できたら連絡くれ。と。 退勤し、家に着いてからすぐに電話をかけた。 聞きたかったことは、前の職場での仕事の引継ぎ事項の不明点のことだった。そんな話はすぐに終わり、1時間ほどあれこれしゃべった。 俺が辞めてからの職場の現状、今いる会社のこと、業界の動向、Tさんが進もうとしてる道。 Tさんは口が悪く、関西支店の問題児らしいが、仕事はかなりデキる人だった。関わりはじめた時は嫌だった

          また、どこかで

          特に理由はないのだけれど 「さようなら」は言いたくない。 「またね」と言う方がいい。 寂しがり屋で、ひとりじゃ何もできない人間だからそう思うのかもしれない。 幸福なのか、辛いお別れはあまり経験していない。 だけど、大きなお別れはあった。 転職して、前勤めていた会社を辞めたときだった。 引継ぎと退職の挨拶で得意先さんを回っていたときに、多くの方が惜しんでくださった。 無力な自分だと思っているからこそ、本当に驚いたし、そして心から嬉しかった。 何事も失うときにその有り難みを感

          また、どこかで

          正しい諦め

          L'Arc〜en 〜Ciel ARENA TOUR 2024 UNDERGROUNDに参戦した。 3/6の代々木、4/14のファンクラブ限定の横浜公演とまさかの2公演に参戦できた。 コロナ禍も終わり、今までの制限がなくなったこともあり、今回のラルクのライブは相当なチケット争奪戦だったことを痛感した。関東の公演はすべて申し込んで1公演のみ、追加公演のファンクラブ限定は当たるなんて思わなくて自分の運の良さにひたすら感謝した。 そして、運を呼ぶためのマインドセットがあると学んだ春だ

          正しい諦め

          10年ぶりの4月

          2024年も早くも3ヶ月すぎてしまった。 私事だが、今月で31歳を迎える。 30歳になった気負いなんか意識する暇もなく1年が過ぎた。20代の頃と比べ物にならない早さだった。 10年前、21歳の俺はどんな人間だったか。 当時の俺は体育会の部活に身を置く大学3年生だった。 大学に夢を見ては現実に一度破れたと思っていたから、この一年は成り上がりたい気持ちがあった。しかし、その気持ちに対する対価、努力はできずただイキるしかできないカス野郎だった。 当然、夢見たことに再度敗れ、今度は

          10年ぶりの4月

          結ぶ

          「来年もお互い頑張ろうね」 インスタグラムのコメントに返信をくれた。 もう15年も会っていないひと、Sちゃん(仮名)とインスタグラムのみで繋がっている。 彼女は小中学校時代の同級生だ。 小学校は同じクラスだったが、中学では3年間別のクラスで関わることがなかった。 保育園が一緒だったとか、高校受験のために同じ学習塾に通ってたとか細かいことが思い出せない。 Sちゃんとはどんな仲だったのだろう。 中学を卒業してから彼女がどんな進路に進んだのかも知らないまま時間が過ぎていた。 良

          理解、賞賛と犠牲

          令和も早いもので6年目になった。 正直なところ、令和という素敵な元号にそぐわない哀しいことばかりが起きてもいる。 大きな声で言いにくいが、ひとは理解や賞賛を求めすぎたし、世界はそれらを認めすぎたと思う。 身近で見るファーストフード店やコンビニで理不尽なクレーム付けるアホ、もっとデカい言葉で言えば、親ガチャだの弱者男性だのジェンダー、LGBTといった多くを救おうとした結果、より社会はギスギスしてしまった気がしてならない。 差別を推奨するつもりもないが、そういうマイノリティに媚

          理解、賞賛と犠牲

          イエス

          久しく会ってない人からインスタグラムのDM経由で着信が入っていた。 最初は何かの間違いだと思って無視をした。 しかし、しばらくしてまた着信が入って折り返した。 その人とはたしか3年半くらいは会ってなかったと思う。 久しく連絡すら取らなかったからLINEも残ってたかお互いに忘れていたため、インスタ経由で電話をかけてきた。 電話の内容は、俺がその人が出るダンスイベントを観に行くことについてだった。 最初の着信に対して折り返ししなかったのが不躾だった。 共通の知人である出演者の

          ブラック企業だったとしても

          11月に入り2023年も残り2ヶ月を切った。 秋めいてはいるが、少し暑いくらいの日中と日没までの早さが重なり不思議な季節でもあり一年の残り時間や自分の今の状況に現実味が持てずにいる。 新たな会社で働くこととなった。 10月中旬の最終出勤と有給消化が終わり、これで完全に大嫌いだった会社ともお別れできた。 新しい会社は、入社手続きの説明からして働き方への取り組みだとか会社の貸与品などコンプライアンスの面でとてもしっかりしている。 前の会社がどれだけ杜撰だったか笑ってしまうほどだ

          ブラック企業だったとしても

          30歳の幸せ

          今勤めている会社を辞め、新たな勤務先へ転職することを決めた。 退職するにあたって、お世話になった取引先に行ける限り挨拶をしている。 取引先の方々から驚く様子と惜しむ声をいただき辞める本人である俺も驚いた。 大した仕事なんてひとつたりともできた記憶なんてない。 お客様に寄り添った提案なんかできなかった。 もっと上手いやり方もあったはず。 それでも、感謝の言葉をかけてくれる人がいた。 こんな俺でも惜しんでくれる人が居たんだ。 これはとても幸せで有り難いことだと思った。 30歳にな

          30歳の幸せ

          叶った夢と、その後先と

          一つ、夢が叶ってしまった。 転職活動をして、内定を取った。 今勤めてる会社を退職することとなった。 コロナ禍の頃からこんなクソ会社絶対辞めると言いながら、辞める辞める詐欺みたいなことを繰り返していたが、3年越しにその夢が叶った。 それまでにも何度も転職に挑んでいたが、30歳社会人7年目にして2回転職した(空白期間、短期離職あり)曰く付きな俺にはなかなかきびしく、書類すら通らなかった。 そんな過程があったから、今回の転職先は会社規模も大きく、年収も上がるため達成感があった。

          叶った夢と、その後先と

          はじめてひとりになれた日

          「人生は選択の連続」 ケンブリッジ大学の研究で人は1日に35,000回もの決断をしてると判明したそうな。 最近、仕事もプライベートでも「自分がどうしたいのか」を持てなくなってきた。 選ぶこと、決めることに必要なパワーが大きいことを痛感するようになった。 30年生きてきて、一番苦しかった選択はなんだったかを振り返る。 パッと頭に浮かんだのは大学進学だった。 行こうとした大学が世間ではFランと言われがちなところだったからだ。 言葉が悪いが偏差値でも三流私大であることは揺らがない

          はじめてひとりになれた日

          その道で出会う人たち

          「いや〜〇〇社長、やっぱり進め方が上手いわ」 職場の所長が言った。 俺のクライアントとの取引間に仕事をお願いしている加工業者さんの提案の話だった。 品質クレームについて悩んでいるところを、修理費を定額制にして、その費用をクライアントと弊社の2社で痛み分けをする方向だ。 これを聞いて、現状での最善、最適解かなと思った。 さらには加工業者さんはクレーム内容には関与しないかつ、仕事を受注もらえる形だ。 自社の利益も獲り、弊社とクライアントの悩みを痛み分けする形でどこかが大きく泣きを

          その道で出会う人たち

          地元の駅ビルに用があり、車を走らせてた夕方のことだった。 「電車に乗ればここから外に出られるんだよなー」 いつからか生まれ育った街に愛着がなくなったような感覚がよぎった。 初めて一人で電車に乗ったのはいつだったっけ。 たしか、高校生の頃。 大学のオープンキャンパスと受験で東京に行った。 初めて一人で電車に乗って県外に行くことは冒険で、未知で、恐いものだったかもしれない。 田舎者だった俺は電車が隣の県に入って、地元では見かけない制服の中高生が車両に乗ってくるだけで異国感を感じ