スマホに残るけど、心に残らない
三越前のモネ展に行ってきた。
これが本当にガッカリなイベントだった。
美術のことは何にも知らないけど、イベントのメインディッシュは印象派の画家たちの作品を投影機で映してるだけに過ぎなかったからだ。
ぱっと見では面白そうに感じたが、原画を置いてるわけでもなくリアリティ、ライブ感もない味気のないものだった。
導入の画家たちの紹介、概略の方が面白かった。
個人的に気に食わなかったのが、メインの作品を投影する部屋だった。
クラシックをBGMにアロマで香りをつけてリアリティを出すといった趣旨だった気がするが、肝心の絵を加工してアニメーション化してしまうことが退屈だった。
俺は美術展において原画を観ることが好きであって、在る作品を現代技術と解釈でアニメーションにしたり手を加えられるのは好きじゃないんだと分かった。
その部屋をずっとムービーで撮っている多くの人たちも不思議だなと思った。
スマホのカメラを通して感動できるのか?
その動画は持ち帰って何度も再生するのか?
手のひらサイズにトリミングされ、奥行きのわからない2D化されたものから何が伝わるのか?
スマホ撮影可能なイベントの場に行くたびにその景色を見て不思議に思う。
子どもの運動会の撮影と同じ感覚なのだろうけど、簡単に撮れてしまうものになったからこそ、映像の価値はそれほど貴重なものではなくなってるだろう。
三脚、もっと投資すればジンバルもあるご時世、定点でおけば限度はあるがトリミングなりして自分の手を介さず残す手段もある。
簡単に遺せる時代になった。便利な世の中だ。
だからこそ、これからは自分の心に刻み込むことが大切になると思っている。
細かいことなんか覚えてなくたっていい。
言語化できなくたっていい。
たとえ拙い感想しか出せなくてと本人の心に忘れないほど刻まれればそれは尊いモノになるから。