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短編など

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突発短編集です。各話に世界観の繋がりはありません。
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#小説

α

その現象は白鯨と呼ばれた。
過去の威光だという奴も居るし、ただの自然現象だという奴も居るし、ごくまれに主と仰ぐカルトめいた奴も居る。
だが結局、空を行く巨大なそいつの正体を誰も知らない。私達にはもうかつてのように空を飛ぶ術は無い。
だからその白鯨はαと呼ばれた。

αが姿を見せるのは決まって少し汗ばむような晴天の真昼だ。
始めは空気を凍らせて固めたかのような輪郭だけがうっすらと空に浮かび上がる。優

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虎の過日

 大きな嵐が地球を覆った時代があった。僕が生まれるよりも前の話だ。僕は次の夏で十五歳になるけれども、空はいつも晴れてばかりで、曇りはおろか嵐なんて一度も見たことがない。だから僕は、その時代を経験した父さんや母さんから嵐の話を聞いて、その様子を想像する。
 雲は地面に触れんばかりに低く厚く迫り、地層のように黒く黒く押し固まって地球の全土を覆う。風、雨、時々雹(ひょう)、そして雷が雪崩のように降り注ぐ

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あらまし

「皆さん、虫を集めてはなりません」
 それが今朝テレビを付けて最初に報じられたニュースだった。
「集合した虫たちは大変危険です。一匹ではそれほどでなくとも、集合した虫たちには我々を遥かに凌ぐ知性と自我が宿るからです。皆さん、虫を集めてはいけません。虫を集める可能性のある行動を取ってはなりません。例えば、食べ残しを含めたゴミを外に5分以上放置してはなりません。人も動物も死んだらすぐに焼却しましょう。

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大きな車輪

 特に何もしなくてもなぜか国語の成績だけは昔から良かったんだよなあ、というのが、友人がおれに漏らしたささやかな自慢だ。
 友人は名を葉(よう)という。葉とおれは、今年同じ大学に入学したばかりの同期生だ。葉は文学部で、おれは法学部だけれども、同じ英語の講義を取っていたので話をするようになり、二ヶ月ほどが経って今に至る。
 人と触れあうことを彼は恐れたことがないのだ。初めて葉と話した時の第一印象がそれ

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魚の墓を抱いた

 3月の海水は冷たかった。ジーンズの裾が水を吸って、ぐずぐずと重たく足にまとわりつく。寒い。冷たい。最初の頃感じていた痛みはいつの間にか消えていた。消えるほど長かった。忘れるほど進んだ。波を切るように水を蹴りながら、俺と彼女は歩いていく。無人の砂浜。靴はずっと前に捨てた。
「ありがとうね、ここまで一緒に来てくれて」
 彼女は真っ白なワンピースを着ていた。俺よりも数歩先を歩いていた。今にも雪が降り出

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きんいろの帰路

 やわい秋草が頬をくすぐった。閉じた瞼の裏、真っ黒な視界にちらつく日の輪。清流みたいな風のおと。誘われるように瞼を持ち上げると、淡いエメラルドグリーンの空に浮いたやわらかそうな羊雲が、風に撫でつけられて渦のようにくるくると形を変えていた。流れが速い。そのうち雨が降るかもしれないなと、半分眠った頭のまま、とろけたバターみたいに空へと滲んでゆく白い雲を、夢の続きを見ているような気分で眺めていた。
 す

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月光

 喋らぬ狸と目が合った。
 馴染みの骨董屋の陳列棚にいつの間にか並んで居たそいつは、両手で抱えられるくらいの大きさの、小ぶりでかわいらしい狸の置物の姿をとっていた。ただの焼き物かと思ったが、そういう訳ではなかったらしい。陶器でできたつやつやした腹をぷくりと膨らませ、どこを見ているんだかいまひとつわからんような真っ黒な両目が、この時ばかりは俺のことを、じい、と掴んで離さない。どうにも俺は、昔から怪し

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ほんとの空を掴まえに

「不思議だと思わないかい。世間にはこんなに沢山の絵の具があふれているのに、あの空と同じ青色が一色も存在しないだなんて」
 黙ってじいっとカンバスに向かっていた彼がいきなりそんなことを口にするものだから、私は頬張っていたハムと卵とマヨネーズのサンドイッチを、ごくん、と思い切り飲みこんでしまった。
 いきなりどうしたのと、喉のつかえを紅茶で流してクラスメイトを仰ぎ見る。彼は普段どおりに淡々と筆を動かし

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ある奏者の物語

 壇上に躍り出たその人に、僕は一瞬で心を奪われた。ドレスの白が極彩色のステージライトをスクリーンのように映し取り、目まぐるしく七色に変化していく。花びらを模したレースの生地と流れるブロンドの髪が、ステップを踏む彼女の軌道に光の尾を引いた。完成された微笑。どしゃ降りの雨のように降ってくる、顔も知らない人々の喝采と口笛。ピアノの鋭い音色がきらきらきらと鼓膜を貫く。少し痛い。ちかちかして眩しくて、一番眩

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星を追う夜

 夕日を見送ったあとの大通り。年に一度の祭日を迎えた今夜、赤いレンガ道は、華やかな恰好をした人々でいつにも増してにぎやかだった。ガス灯のオレンジ色とアコーディオンが奏でる音楽が、幸せそうに笑う人々を包んでいる。屋台から漏れてくるチェリーパイの香りに、ぐう、とお腹が鳴った。久々にたくさんお洒落をして、高いヒールでたくさん歩いてたくさん笑って、少し疲れてしまったのかもしれない。わたしがとある不思議な男

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ビヨンド

 寝室と呼ぶには質素すぎる部屋だった。
 西洋の映画でしか見たことのないようなコバルトブルーの壁が四方を囲い、中央には白いベッドがひとつだけ。他の調度品は見当たらない。真四角の窓の外はやけに明るく、海の遠景が薄ぼんやりと霞んでいる。今は春だったかしらと考えながら後ろ手にドアを閉めた。扉を開く前の記憶は無い。ただ長い距離を歩いてきたのだろうな、という疲労感だけは嫌味のように体にずしりと積み重なってい

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溶けない花弁

 校庭の隅に、一本の古木がある。まだかすかに雪の残る、荒野のように荒んだ砂地のいちばん端。寒々とした冬の風に追いやられるようにして、その桜の樹はひそやかに佇んでいた。
 長い冬が終わるね。短い春が来るよ。
 呟いたその少年はずっとその樹の側に居た。黒い学生服が、地を這うような風を受けてふわりと膨らむ。私は彼と桜の横顔を見つめながら、同じように膨らみかけたセーラー服のスカートを片手で軽く抑える。吐き

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グラン・ブルーの友人

 僕の友達の話をしてもいいかな。
 彼らはいつも水の中を泳いでいる。海水じゃないとだめという子もいるし、淡水が好きという子もいる。街はずれの水族館にある大きな青い水槽が、彼らの家だ。学校が無い日、僕はたいてい自転車を漕いで、その水族館を訪れる。彼らは皆気さくでおしゃべりだから、どれだけ一緒に居ても飽きることがない。そうやってグランブルーの水底を漂いながら、僕たちはいろいろな話をするのだった。僕は彼

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ぼくらの地球

 どうしてこんなにいっぱい不思議なことがあるのかしらと言うわりに、その女の子はいつも楽しそうだった。
「地球ってどんなかたちをしているの?」
 ふかふかの草の上に寝転んでいたぼくをのぞき込むようにして、ある日その子は言った。顔に彼女の影がかかる。リンゴみたいに丸いんだって。本に書いてあったよ。そう言うと、その子は栗色の目をぱちぱちさせて首をかしげた。
「あら、ならそれって、パンみたいに四角かったり

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