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盛岡藩雑書 四巻

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延宝5年1677年〜盛岡藩の藩政日誌を現代語訳。 当時の風景はChat GPT 4oが作っています。
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記事一覧

盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年8月15日】

盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年8月15日】



南部重信に会いに来た人たち延宝5年8月15日。朝は晴天からの曇り

(墨で消された部分)

卯の半刻(午前6時頃)に、
殿様が御出発されました。

辰の上刻(午前8時頃)に、
御城に帰還されました。

この日は、右両社(神社)へ参拝されました。

殿様は御居間で、
高知出身の者たちにお目通りされました。

また、毛馬内(秋田県 鹿角市)の「文右衛門」と「三右衛門」という父子もお目通りが許されま

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盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年8月14日】

盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年8月14日】

延宝5年8月14日 晴天

今日は、「大智院」様(現藩主・南部重信の亡き正妻)の命日であるため、代参(多忙な南部重信の代わり)として「野田金太夫」が、聖寿寺に派遣されました。

(欠)
※以下文は、状態が悪くて解読不可。

盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年8月13日】

盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年8月13日】



お魚と神社延宝5年8月13日。

朝から小雨が降りました。辰刻(午前7時頃)からは薄曇りの天気となりました。

◎海栗(ウニ)の貝焼きが2つ
◎小鯛の焼き物が3枚
「兵助」が献上しました。
(献上とは 目上の人 多分大殿様にあげること)

八戸(青森)から「中里弥次右衛門」が
飛脚を通じて、鰹2尾を、献上しました。

御日待(祭礼)の祈祷のための御守札が、
「亀之助」様、「鶴之助」様、そして母

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盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年8月12日】

盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年8月12日】



令和でいうと、激辛の紅鮭
寛政12年8月12日。

薄曇りで、昼ごろに雨が降りました。
しばらくして晴れた。
夜中にまた雨が降りました。

毎年恒例の仕事です。
鮭の塩引き(塩の中に保存した超辛い鮭)を引き上げるため、奉行から命を受けました。

小本(岩手県下閉伊郡岩泉町)には「摂待太右衛門」、市川(場所不明)には「小向次郎左衛門」
が今日の担当者になれ!と命令を受けました。

御扶持方(食糧

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盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年8月11日】

盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年8月11日】



盛岡藩主・南部重信の厄払い延宝5年8月11日

昨夜から大雨が降り続いています。

「櫛引八幡宮」の祭礼が、15日に行われます。

神酒(おみき)2樽を、
八幡三位(僧侶の地位)の僧に託して、
送り届けてもらいました。

取次役(神事の手配・担当者)は、
「高橋惣左衛門」が務めました。

大殿様(南部重信1616〜1702)の、厄払いと立願(神仏に願いを立てること)について、永福寺の先達(導師

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盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年8月10日】

盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年8月10日】



蔵の管理について御土蔵(蔵の管理や財産)に関して、
今日、「野辺地井右衛門」を通じて
殿様に報告します。

しかし、殿が御下向(お出かけ中)の場合は、
老中(高位の役人)に伝えてください。
老中が殿に話しておきます。

ちなみに、殿は12日に江戸に行く予定があります。

雲雀は鷹の餌昨日、武士や高位の役人たちに、
雲雀を送りました。

贈り物を届ける担当者「米内孫兵衛」が
無事に、直接彼らに届

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盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年8月9日】

盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年8月9日】



鉛を発掘したので税金を払う延宝5年8月9日 曇

和賀郡 沢内山(現在の和賀郡西和賀町沢内新町)に住む「仁左衛門」は、鉛を運び出す「鉛御運上申請」をしました。

◎これは、鉛を採掘し、その一部を税として納める手続きを申請したことを指しています。江戸時代、鉱物資源は藩にとって重要な収入源であり、特に鉛のような金属は価値が高いため、藩への貢納(運上)という形で税金が徴収されました。

鉛200貫目

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盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年8月8日】

盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年8月8日】



お酒のつまみをプレゼント「隆高院殿」「貞心院殿」は、

◎この2人はおそらく大殿様である「南部利幹(なんぶ としもと)」の身内か高貴な人物だと思うよ!

大殿様がご下向された(高貴な方が特定の地に訪れた)ことを祝うために、

一樽の肴(二樽)
一折の肴

をそれぞれ贈呈されました。

◎肴とは、お酒のつまみ、魚や珍味のことだと思うよ!樽に入れたもの・折り箱に入れたもの、それぞれを大殿様にプレゼ

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盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年8月7日】

盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年8月7日】



鹿角の境界線鹿角(秋田県)で、論山(領土の境界を定める山)の塚(境界を示すための塚)の工事が完了しました。

監督者である「出石源兵衛」と「臼井仁右衛門」が、昨日、鹿角から帰ってきて、今日、上役にその完了を報告しました。

高価な献上品
「御鶴(おんつる)」
「御児鶴(おこづる)」という

特別な鶴2羽を、
「兵助」が拝領(目上のひとから受けとること)しました。

そのお礼として、
「右近」が

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盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年8月3日〜6日】

盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年8月3日〜6日】



8月3日 南部利幹の馬の交代延宝5年8月3日 晴れ

大殿様(南部利幹)は、
先月の7月25日に江戸を出発され、
腰谷(調べたけど分からない)に、
泊まられたとのことです。

この情報は、今朝、
飛脚(速達の使者)によって届きました。

そして、大殿様(南部利幹)が
盛岡に到着するのは、
8月7日頃だと伝えられています。  

今日、花巻(岩手)の同心(警察)に命じて、
大殿様(南部利直)のご

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盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年8月2日】

盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年8月2日】

写真は、Chat GPT で作ってます!

間違えているところがあったら教えてください🪼

南部利直にご祈祷をした話大殿様(南部利直)のために、
御祈祷を行いました。

法輪院の看守である「高橋惣左衛門」が、
札の井巻数(巻数の管理と分配)
を任されました。

このご祈祷は、今月から3ヶ月続けられます。

ご祈祷が終了した際に、「高橋惣左衛門」へ
3貫文(現代の価値にすると3〜6万円)が支払われ

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盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年7月29〜8月1日】

盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年7月29〜8月1日】

写真は、Chat GPTで作っています♬

間違えているところがあったら教えてください🪼

7月29日 平和な1日当番:治太夫  晴れ

殿中(主君の居る場所)では特に変わったことはありませんでした。

8月1日 人の手配で忙しい日当番:治太夫  晴天  

若殿様のお出かけに使う、
牛車(6頭の牛が引く車)を、
今朝送り出しました。

花輪から来た同心(警備員)1名、
人足(荷物を運ぶ労働者

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盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年7月28日】

盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年7月28日】

写真は、Chta GPTだよ!

間違っているところがあったら教えて下さい☺️

米を管理するひと延宝5年7月28日 当番:治太夫

朝は、曇りでした。
巳の刻(午前10時頃)に雨が降り、
午後には晴れました。

「野辺小右衛門」と「金田一八郎左衛門」は、
一石(米の単位で、約180リットル)
に関する巻物を、管理する役人です。

彼らは、昨夜 盛岡に帰宅しました。

そして、今日 盛岡城にて、業

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盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年7月26〜27日】

盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年7月26〜27日】

※写真は、Chat GPTで作ってるよ!

※26日は、解読不可。

間違っているところがあったら教えて下さい🤍

徳川家とは仲良く寛政12年7月27日

鹿角の杉材を、仙台領石巻に送る件について。

担当者は「富田屋惣左衛門」です。

以下の内容を、筏(いかだ)の上に乗せた。

ひと山で計2,276本
長さは3尺から6尺(約90〜180cm)
幅は7寸から1尺(約21〜30cm)
厚さは5寸か

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