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盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年8月10日】
蔵の管理について
御土蔵之御さを共、今日野辺地井右衛門ヲ以 御前へ上ル、但御下向被成候へ八、例も 御前へ上御留守中計老中預候付て、右之通上ヶ可申と存候へとも十二日=上ル筈
御土蔵(蔵の管理や財産)に関して、
今日、「野辺地井右衛門」を通じて
殿様に報告します。
しかし、殿が御下向(お出かけ中)の場合は、
老中(高位の役人)に伝えてください。
老中が殿に話しておきます。
ちなみに、殿は12日に江戸に行く予定があります。
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雲雀は鷹の餌
御鷹之雲雀拾宛漆戸甚左衛門・東音左衛門・南彦八郎・宮部兵太夫・奧瀬井左衛門・漆戸甚之助、右之面々拝領、御使米内孫兵衛
昨日、武士や高位の役人たちに、
雲雀を送りました。
贈り物を届ける担当者「米内孫兵衛」が
無事に、直接彼らに届けました。
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自宅の庭で採れた梨
桜庭兵助庭前之梨子壱鉢献上之、野部地井右衛門披露
「桜庭兵助」の代理人「井右衛門」は、
自分の庭で育てた梨を一鉢分、
上の位の人(おそらく殿様)に、献上しました。
「野辺地井右衛門」が殿様に渡しました。
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梨を一鉢(鉢に盛られた量)という具体的な量まで記されていることから、献上品の大きさや形式に一定の礼儀があったことが推測します。
鶴を贈ったよ
御鶴一居・御児鶴一居被遣、北九兵衛・中野伊織・八戸弥六郎、何も右両居宛被遣、為御礼何も登城之
「御鶴一居」(親鶴)
「御児鶴一居」(小鶴)一羽ずつを、
殿様が
「北九兵衛」「中野伊織」「八戸弥六郎」
の3名に贈りました。
彼らは、武士や高位の者たちです。
鶴を受け取った彼らは、
登城し感謝の報告をしました。
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来月から塩の生産が本格的に
田名部蛎崎之内とうの崎-塩釜壱工望候、田畠井御鷹巣・烏屋=無構所=候由、御代官波岡与惣右衛門・氏家半助就申上候被仰付候、御役八当九月より焼立候間、小半役ノ積御金指揚、来年より八本役指上之者也 延宝五年八月十日 治太夫 兵助 蛎崎村山三郎
塩の生産地である、
田名部(青森)の蛎崎地区の
とうの崎(塔の崎)から、
以下の要望がありました。
『塩釜1つ分を使って労働をしたい!』
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別件ですが、井戸・田畑や鷹の巣(狩の場)・
烏屋(カラスがいる場所)には特に問題がありませんでした。
以上の内容を、
代官の「波岡与惣右衛門」と「氏家半助」に、
伝えました。
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9月から塩の生産が本格的に始まります。
割り当てられた八当(労働)に基づいて、
作業が行われます。
塩の生産に関連して、
小半役(小さい規模の役務)の分の金銭的な取り決めを調整し、来年からは八本役(本格的な役務)の割り当てが行われることを示しています。
以上の内容は、
「治太夫」「兵助」
そして蛎崎村の「山三郎」という人物たちが
関与しています。
海産物を輸送しました
白根網正味六千六百三拾四貫目、固数五百拾固、小数大小八百壱枚、十分一田中武兵衛御代官工藤善兵衛・中村七兵衛取揚、右山師清兵衛・久左衛門・左平次他領へ相出候、北上通黒沢尻御番所へ通手形遣ス、栃内与兵衛取次、訴状八当座箱二入
白根網(白根という場所で漁獲された魚や海産物を指すと思われます)
の正味は、
6,634貫目
( 1貫目は約3.75 kgなので、全体で約24,877.5 kg。非常に大量の漁獲物があったことを意味します。)
固数は510固
(「固数」はおそらく固まりの数を指していて、510の固まりを意味します。)
小数の大小は801枚です。
(サイズが異なる小さなものが801枚あったことを示しています。大きさや品質で分けられた細かい漁獲物も記録されています。)
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重さで測り、その量を記録していました。
また、江戸時代には「十分一」という税の形が存在し、
取引や収穫物から10%が徴収されました。
十分の一(獲物の10%)は、
漁獲物の管理・監督である、
「田中武兵衛御代官の工藤善兵衛」と
「中村七兵衛」が取り上げた。
山師である「清兵衛」「久左衛門」「左平次」
が、他領に物資を輸出しました。
北上通(北上川沿いの交通路を指す関所のような施設)の黒沢尻の御番所に、通行手形を送りました。「栃内与兵衛」が手続きをして、物資の運行許可が出ました。
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別件で、訴状は8通・当座箱(保管箱)に2通入っています。
大名は現代の馬主みたいな感じ
殿様今日淡路丸於御馬場=三御馬屋之御馬共御 上覧、未ノ刻御出、申ノ刻終
殿様(南部利幹)は、
今日、淡路丸(南部利幹が乗った馬)にて、
御馬場(馬を調教したり観覧する場所)で、
三御馬屋(南部利直が管理する馬小屋)の馬たちを御覧になった。
未の刻(午後14時)にお出ましになり、
申の刻(午後16時)にお帰りになられた。
◎「淡路丸」という名前から、これは淡路国(現在の淡路島)に由来したか、そこの名馬であった可能性が高いです。
帰ってきてくれてありがとう
田名部御代官波岡与惣右衛門 殿様御下向=付、為御祝儀塩鯛二つ、次飛脚=て老中迄書状被添、今日上之、則田鍍八右衛門以遂披露之
田名部(青森むつ市)の
御代官(徴収する仕事)「波岡与惣右衛門」は、
殿様(南部利幹)の
御下向(江戸からご帰還)に際して、
御祝儀として、塩鯛二匹を献上しました。
(領主が領地に戻ってくることはめでたいこと)
また、飛脚を通じて、
老中まで書状を添えて送った。
今日、その書状が上京し(江戸に届き)、
すぐに「田鍍八右衛門」が殿様と老中に披露しました。
◎塩鯛は長期保管の効く、贈呈品としては喜ばれるものでした。現代の手土産も 生菓子より長期保存の効く食べ物の方が有難いですよね。
秋の味覚といえば松茸
松茸一鉢十五聖寿寺献上、田鍍八右衛門取次
松茸一鉢(ひとはち・器のこと)を十五本、
聖寿寺に献上しました。
「田鍍八右衛門」が取次ぎを行いました。