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~2000字前後の短編・掌編です。
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2020年8月の記事一覧

紙と詠う獣

 わかった、月が出る前に別れてしまおう。  だから言ってくれ、つまり君はなんだったんだ、問いかけてもうつむくばかりの君はちっとも答えてやくれない。君の唇にはみえない鍵がかけられていて、その鍵は森の井戸の底に落としてきてしまったと、君はスケッチブックを広げながら紙の上に鉛筆を走らせる。  僕は鉛のにおいが何よりもきらいで、アロマを炊いて香りを消そうと試みる。鼻を塞いでも、目から、耳から、口から、鉛筆のにおいは音と共に僕のからだの奥底まで染みこんで、血を巡って頭まで蹂躙して、

きみがため

 雨風が機関銃のようにガラスを撃ち続けている。行く手にそびえる雷雲の塊は一際黒く、古城のような存在感をもって私の前に立ちふさがっている。絶望をかためて煉瓦にして、それを組み上げて城を作ったなら、これほどの漆黒が出来上がるのだろうか。どれだけ堅牢な門を備え付けたとしても、王がその鍵を閉めることはけしてないんだろう。  操縦桿を右や左にきる事は出来なかった。私はこの雲の中に飛び込まければ許されなかった。私はこの雲に飛び込んで、誰も知らない国へ消えてしまわないといけなかった。もしも

今朝は雨なの

「今朝は雨なの」  電話口の向こうから聞こえてくる君の声は震えていた。わかってる、本当はそんな事が言いたいんじゃないんだろう。それでも僕は君に少しだけ意地悪をしたくなる。そうなんだ、こっちは晴れだよ、気をつけてね、なんて。通り雨が魔物だなんて誰も思っていないのに。  どこに行きたいの。  どこへ行きたくなくて、それなのにどこへ行ってしまったの。  雨が降っていると君はいうけれど、君の世界から雨音は少しだって聴こえてこない。電話回線を通せば雨音なんて消えてしまうんだ。君の涙も砕

窓際の彼

 鳥が飛んでいる。奇妙な桃色の鳩である。  私は彼(便宜上そう呼ばせてもらう事にする)が隣の家の屋根の上に降り、とことこと歩き回っているのを、ベランダから茫と眺めていた。  私の家はマンションの二階だ。ベランダに出ると、すぐそばにお隣の一軒家の屋根が見える。普通の鳩なら、灰色の瓦にすっかり擬態してしまったことだろう。珍しい色の彼をしげしげと眺めていたら、彼はくるりとこちらへ向き直って、ぱたぱたと飛んできた。  あまりに真っ直ぐにつっこんできたものだから、私がとっさに身をかわす

 朝が来て、昼が過ぎ、夜が巡る。花を散らせた夏の嵐もやがてつめたい凩に変わる。花も紅葉も朱を錆びさせてしまうものだから、私の足跡はいつでも冬の獣道の上。鋼鉄の爪先で雪を蹴れば悪魔の跫音がするの、私とお前がとても近しいけだものだから。  いのちを形づくる水の名と色は、お前だってよく知っているでしょう。『 』に縛られ、『 』を渇望し、最期は『 』の上で果てるわ私達。だから走るなら雪の上がいいの、白くて冷たくてとても厳しい、そんな雪が、いいわ。  雪は生命のくれないを隠さず、お前の

船を待つ人

 波打ち際に立って、女は海を眺めている。後ろから歩いてきた少年が、海に向かって小石を放り投げた。  小石は沈みも、流されもせず、不思議と波間を漂っている。石だと思われたものは、真っ白なくらげに成り変わっていた。女は振り向かない。少年はもう一度石を投げようとしたが、女が彼方を見つめたままでいる事に気づくと、振り上げた右腕をつまらなそうに投げ出した。少年の握っていた石ははずみでぽとりと落ち、たちまちちいさな蟹となると、小股で砂浜を歩きだした。 「どこを見ているの」 「船を見ている

ソーダの天秤

 一瞬の大雨が過ぎ去った野原は広く青々として、けれど嘘みたいな青い空につぶされてしまいそうだった。  野に咲く花を両手いっぱいに抱えて、きみは立っていた。僕はその黄色い花のなまえを知らない。ひょっとしたら、いつもはただ雑草と言っていたかもしれない。または、いつもならすぐに言えたのかも、しれない。  なんの花、そう尋ねたら、きみはどこか淋しそうに、もうすぐ死んでしまうのとこたえた。  ――何が。  きみは笑って、魚が、と言って、足元のちいさな水たまりを指さした。水たまりのな

つめたいくらげ

 ****、なんて言葉は口約束にもならないなんて、ずっと昔から知っていた。  馬鹿みたいに軽々しい風が肩のとなりを通り抜けていく。いくら高い塀のうえに居たって、空に近づけたなんてちっとも思わない。質量を持たないたった一言の****、にすがったばかりに、私はここに立たされている。  地上を満たす真っ黒な闇の塊は、たしか水という名を与えられたものだった。ぽかりと寂しく漂っている光の寄せ集めはただの月だったか、無様に水底を這いまわる深海魚の翳した提灯なのか、或いは透明な舟が掲げると

夜汽車

 いつから待ち続けているのですか。  女がそう問えば、黒い詰襟の学生服を着た隣の男はつ、と顔を上げる。  黒縁の眼鏡をかけた、真面目そうな年下の青年だった。この寒空の下、上着の一枚も着ていないのは少し不思議に思う。彼はレンズの下の黒い瞳を伏しがちにし、線路のはるか向こうへぼんやりと視線を向ける。行く手は深い霧に閉ざされ、未だ次の汽車が到着する気配はない。男の声と共に、ふうと白い息が零れる。  もう随分長い事待っている気がしますが、いっこうに迎えがこないのだ、と。  それを聞い

恋文

 拙い口先がもっと綺麗な言葉だけを選んで紡ぐことができたなら、貴方はその手を腰ではなく私の頭に添えてくれただろうか。うつくしい手で淫らな部品に触れてなどほしくはなかったけれど、貴方を繋ぎとめるだけの色は、私の白い指のあいだの何処からも零れてはこない。  貴方が探しているものはずっと知っていたのにと言えば、幼子を愛でるように憐れんでくれる?  棄て猫の行く末を憂うより、ほんのすこしは暖かかった筈の貴方の眸。いつからか体温を失って、乾いた砂漠の砂にも似た熱を帯び始めた。  貴方は