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きみがため

 雨風が機関銃のようにガラスを撃ち続けている。行く手にそびえる雷雲の塊は一際黒く、古城のような存在感をもって私の前に立ちふさがっている。絶望をかためて煉瓦にして、それを組み上げて城を作ったなら、これほどの漆黒が出来上がるのだろうか。どれだけ堅牢な門を備え付けたとしても、王がその鍵を閉めることはけしてないんだろう。
 操縦桿を右や左にきる事は出来なかった。私はこの雲の中に飛び込まければ許されなかった。私はこの雲に飛び込んで、誰も知らない国へ消えてしまわないといけなかった。もしもこの飛行機にたくさんの人が乗っていたなら、私はいま泣いていたかもしれない。自分一人のために泣くなんてばからしい。涙があるならとっくに飲んでしまっている、雨水から海の味なんてしないのだから。
 私の棺桶として与えられた小さな飛行機は、吹き飛ばされてしまいそうに軽いのに、出所のわからない強さで黒い雲めがけ突き進んでいく。本当は私達と同様に彼女は彼女と呼ばれるべきだった。私、彼女、娘、妻、老婦人、私達、彼女。追い風の風速に気付かないふりをしたまま、女達は推論上の翼をはためかせ、求められ続けるまま必死に飛んでいる真似をする。空の終点を謳った寓話が果たして美しい悲劇かどうか。
 雷雲の入口が近づいてくるにつれ、空は道と城との区画線を曖昧に書き換えていく。
 黒が褪せる。霧が晴れる。門はなかったし、門番もいなかった。城なんてどこにもないのだから当たり前だった。天空の城も、雲のプールも、空を泳ぐくじらも、ここにはなにひとつとして存在しなかった。地上から空を見上げている未来の私たちにそれを伝えることが出来ないのが、私にとってただひとつの救いのように思われた。

 上手に飛びたいだけならもっと単純な命令でいいの。
 私は前進する。
 それだけ。
 それだけ。

 雨風はいっそう強まって、激しい風とともに翼を撃った。右翼が壊れ、左翼が壊れ、エンジンは停止し、機体が砕け、今、ゆっくりゆっくりと落ちていく。
 ほんとうは流れ星なんかよりよっぽど速く落ちているのかもしれない。そうだったらいい、と思う。私のことを新聞紙の上で悔やむような人たちが、いま空を指さして、ああ流れ星が綺麗だなと涙を流してくれればいい。星にかけた願いがひとつでも叶うなら、それでいい。
 空の上から、ばらばらに砕けた飛行機のかけらが落ちてくる。私はせめて大切な友達を受け止めようと、両手をせいいっぱい上へ伸ばしたけれど、強い風にあおられみんなどこかへ飛んでいってしまう。私もどうせあんなふうにばらばらになるならば、自分にもエンジンがついていると信じて落ちてみようか。私の骨は鉄と、熱と、プラスチックで出来ている。
 名前も顔も紙の上に捨てて、私は一篇の詩として処理される。
 壊れるだけ。だから、誰も悲しんだりはしないといい。
 
 見上げた黒い雲はもう城なんかには見えなくて、空から仲間はずれにされた子供みたいだった。寂しげにうかんでいるひとりぼっちの雷雲に、私はせいいっぱい手をふって、誰かのためのお芝居はそこまで。笑えたかどうかは、わからない。

(2015/04/03)

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