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窓際の彼

 鳥が飛んでいる。奇妙な桃色の鳩である。
 私は彼(便宜上そう呼ばせてもらう事にする)が隣の家の屋根の上に降り、とことこと歩き回っているのを、ベランダから茫と眺めていた。
 私の家はマンションの二階だ。ベランダに出ると、すぐそばにお隣の一軒家の屋根が見える。普通の鳩なら、灰色の瓦にすっかり擬態してしまったことだろう。珍しい色の彼をしげしげと眺めていたら、彼はくるりとこちらへ向き直って、ぱたぱたと飛んできた。
 あまりに真っ直ぐにつっこんできたものだから、私がとっさに身をかわすと、彼は開けっ放しになっていた窓から私の部屋に入ってしまった。慌てて室内に戻ってみれば、彼は我が物顔で、なぜだか冷蔵庫のうえに落ち着いている。どうしてわざわざそんな場所に座るんだろう。
 私はクッションを来客用の椅子の上にしき、スナック菓子をあけて待ってみたが、彼はいっこうにこちらへ来ない。冷蔵庫の上の彼にスナック菓子をさしだしてみたら、ちょいとついばんだ。座ったまま。
 まるで王様のようなそのふてぶてしさが可笑しくて、私はふきだしてしまった。
 彼――王様はその日から、私の同居人になった。

 王様は私の部屋から出ていくようすはなく、あの不器用でかわいらしい、首をへこへこと突き出すような歩き方でフローリングを歩き回った。時々そっとベランダから出ていく。夜はかならず、冷蔵庫の上で眠る。
 王様は紳士だった。ごはんの時だって、私より先に勝手に食事を始めるようなことはしない。
 私がいただきます、と言うと、王様も一緒に食事を食べ始める。しゃべらないし、特別な仕草も見せないけれど、彼なりにどこかで礼儀をおぼえてきたらしい。
 イチゴチョコみたいなピンク色なのに、王様の好物はミントのアイスクリームだった。私はストロベリーが好きだ。私は会社帰りに、自分用のストロベリーのカップアイスと、王様の為の安い棒のミントアイスを買って帰る事を日課にした。定時で上がるときの私は、最近前よりいっそう嬉しそうに見えるらしく、同僚からはあらぬ誤解を受けた。
 やだな、ペットを飼い始めただけだよ。
 そんなふうに言ったけど、嘘だ。
 私は、王様を特別な友達のように感じていた。だから、鳥籠なんていうものは用意しようとも思わなかったし、冷蔵庫の上にずっと座らせていた。
 朝、ベーコンエッグを作ろうと冷蔵庫を開けるとき、王様と目が合う。帰ってきて電気をつけると、王様が部屋を歩き回っている。そんなちょっぴり幸せな毎日が、いつまでも続くのだと思っていた。

 ある朝、起きると窓が開いていて、ああ、王様がいなくなったんだとなんとなくわかった。
 私はぼんやりと起きて、カーテンを開けて、隣の家の屋根を見て、それから誰も居なくなった冷蔵庫の上を見た。
 王様、きっと自分の国に帰ったんだ。
 冷蔵庫のすみで、ミントアイスが所在無げにしている。私は封を開けて、それを口にいれた。いつもは食べないミントアイスのすうっとした味は、真っ白い朝陽ととけあって、なんだか胸にしみた。
 王様のいない生活はなんだか物足りなくて、たまに寂しい気もしたけれど、私の毎日にはまだまだ素敵なことが待っていた。
 それ以来、私の家のベランダには毎朝ちいさな花が届けられるようになった。この花をずっと大切にしていたら、いつかまた、王様に会えるような気がする。
 花瓶の水を取り替えていたら、開けっ放しの窓から風が吹き込んで、ひらりと羽根が一枚部屋に舞いこんできた。
 もう。隠れてないで、出てくればいいのに。
 ほんのりイチゴ色をした羽根をひろいあげて、私はそっとほほ笑んだ。

(2014/11/07)

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