「じゅんさんが心理学を学ぶきっかけは?」◆落ち込んだ時はどのようにして立て直したのか?ラジオのレター返信をしています◆
私が普段、心理学の事をお話しているstand.fmというラジオアプリがあります。
今回はリスナーさんからいただいた質問にお答えした内容を記事としても残しておこうと思います。
【レター内容】
ラジオネーム ゆでたまご さん
いつも心地よい世界観をありがとうございます。
じ ゅんさんは心理学を学ぼうとしたきっかけはどんなきっかけがあ りましたか? もしお話しされていたらすみません。
聞かせていただけましたらとても嬉しいです。
また自分の事が信じられない時、落ち込んだ時、じゅんさんはどんな風に立て直しますか?
これからもラジオ楽しみにしてます。
◆こちらのHPにくわしいプロフィールを掲載しています。お時間ある時にご覧ください◆
1、じゅんさんの心理学を学ぶきっかけ
私が人生で心理学を学ぶきっかけについては、 3つありました。
• ①…高校卒業して幼稚園の先生になる。 と決めて短期大学に行ったんですよね。 そこで、幼児教育の中で心理学を学びました。
• ②…介護福祉士を取るために24歳の時、夜間の学校に3年間通っていた時に心理学を学ぶきっかけがありました。
• ③…私が芸術活動をしていた時が5年間ぐらいあったんですね。これは粘土や石膏を使って人形を作るということでした。
③のきっかけによって、私は私自身が抱えてきた問題に向き合えることができたんですね。
当時、精神的にも体力的にも限界がきて、仕事に行けなくなってしまったときがありました。長期療養をしていた時期です。
その時に出会ったのが、当時人体の造形物にとても惹かれて、粘土造形を教えてくれる教室に通っていました。その人形造形師の先生のところで学び初めたんですね。
人形を創っていくと、なぜ自分自身が人形を創っているのだろうか?と思い始めることになります。
自分自身が創った、目の前に出来上がっていく人形やオブジェは、まるで私自身の心の中を映し出しているかのような物質に思えてきたからです。
造形活動、芸術活動ですよね。これをすることで、自分自身を癒していたことに後々気づいたんですね 。
後々気づくのですが、心理学の療法で芸術療法というのがあるんですね。
「遊ぶこと、それ自体が治療である」という言葉を残した人がいるんです。(精神分析家ウィニコット・D・W)
そういったお絵かきとか、おゆうぎかとかは子供の頃は馴染みがあるんですが、大人になるにつれて忘れ去られてしまいがちなんですね。
しかし、遊びもまた、芸術表現であるので、治療的役割を持つと、心理学の中でも考えられていたんですね。
それには陶芸とか粘土後は箱庭療法とか音楽療法とか。 詩、歌と俳句療法とか心理劇とかいろんな芸術活動を通して行う心理療法があるんですね 。
そもそも、人の心にあるものは何らかの形で表現したいっていう自己表現の欲求を持つとマズローという心理学者が言ってるんですね 。
芸術療法はそういった人間の欲求にも関係するので、そういった表現を媒介にして、その作品を作るプロセス、そしてまたその完成作品を自分が見て味わうことで自己治癒につながることがあるんですね 。
ただ、これは個人差があるのでこれが合う方もいるし合わない方もいます。
私の場合は芸術療法が合ったんですね。
そのことによって私自身の過去と向き合うことになりました。
それによって過去を思い起こして辛い時もありましたが、もっと自分自身を知りたいという欲求から心理学を学ぶという道に行ったんですね。
以上が私が心理学を学ぶ3つの機会でした 。
2、じゅんさんが自分自身が信じられない時、落ち込んだ時の立て直し方
そう。 私の場合は、 まず、五感で感じることを大切にすることだったんですね。
先ほども少しお話しましたが、当時私は職場と家の往復だけの生活をしていて、仕事に全てを捧げているような生き方をしていました。次第に精神と身体の調子を狂わせていき、気付いたときは職場に行くことができなくなってしまいました。
長期休養をとるということになったんですね。
私がまず行ったところが山奥の神社だったんですね。 たまたま見つけた、バスツアーで、お一人様でも行けますよみたいなバスツアーに行ったんですね。
それまで旅行とかまったく行かない人でした。それまでは家に帰ってきても本当ぼーっとして休日を過ごして、「仕事行きたくないなぁ…」と思いながら毎日生活していたんですね。
自然の山奥に着いてまず感じたことは、いかに自分が人工的な世界の中にずっといたんだなと感じることができたんですね。
「山の中ってこんな匂いがするんだ」とか。「風が気持ち良いってこんな肌感覚なんだ」とか。
「山の中って寒いんだなぁでも、なんだか安心感がある」とか。 「鳥が鳴く声の響く音がこんなに優しいんだな」とか。
五感が敏感に反応するのを感じたんですよね。
今まで使っていなかった五感を使うことの気持ちよさを知ったんですね。
これって私の生活にはほとんどありませんでした。感情や感覚は鬱陶しいものだと決めつけて、何も感じないようにしていたからです。
そこから休日はなるべく自然のある場所に出かけるようになりました。あとはカトリックの教会に行ったりとか。
近くの公園とかでちょっとぼーっとする時間とかを作ったりもするようになりました。
そのころから観葉植物を家の中に置くようにもなりました。
そこで五感を使って自然を感じる自分が自分自身の中にいるという実感がとても気持ちいいなって思えることが、 少しでも救いになったんですよね。
五感で感じるって抽象的な表現なんですけど、これが私にとってはほんと大事でした。
感じるっていうこと自体が生活の中でなかったんですよね 。失われていたという表現が合っているかもしれません。
あとは、五感の味覚の部分も大きくて。
当時は仕事中は一日一本以上栄養ドリンクを飲んだりとか。
そういう人工甘味料が強いもの飲んで、頑張って働いていたんですねた。
身体は一時的に元気になるんですけど、中毒性が高いので依存みたいな形になっちゃうんですね。
それを飲まないと頑張れないという強迫観念にかられる自分がそこにいました。
無理してまで身体に元気を出させて、自分を大事にしていなかった。そんな自分になっていたんだ。
と過去の自分自身に無理にしてきたことを冷静に振り返ることができたのは、野菜とか果物の自然の味を感じたい。と思いはじめたこともきっかけでした。
そのためにまず行ったことは、かぼちゃとか、人参とか、じゃがいもを皮をむかないで、ぶつ切りにして電子レンジでチンってできるシリコンのスチーマーみたいのがあるんですよね。
それに入れてチンして。
ちょっと塩をつけて食べるだけとかやってましたね。
そをすると「こんな人参って甘いんだ…!」とか
「かぼちゃってこんな自然の甘さがするんだなぁ」とか。
味付けが何もなくても自然の中の味ってこんなにあるんだとか、味覚からも自然を感じる事が出来るんですよね。
そうすることによって、 あの人工甘味料とかを感じていた自分っていうのはどんな自分だったのかな?とか振り返りはじめることができてくるんですね。
本当にそれは私が求めていた自分だったのかな?と。
自然の味を感じた自分はどんなことを感じたのかな?とか。
そういった五感が純粋に感じた「気持ち良い部分」を客観視できるようになったんですね。
そうすることで、人間関係とか職場内においても「こんな時は自分は気持ちいいな」とか、「今自分は嫌な気持ちをしたんだな」とか、自分自身に気づいてあげれるように自分がなったんですね。
自分自身が客観的な視点でとらえることができてくると、今度は同じような状況の人を見たときに、「実はこの人も昔の自分の様に苦しんでいるのかな?」と、そういう風に他人を冷静な視野でみることもできてきたように感じます。
当時の私にとっては、まずは五感感覚を大切にすることでした。
そう。私たちはいくら可能性があるからと言っても万能な存在ではないし、無限の存在でもないんですよね。
自分に出来る事と出来ない事がやっぱりありますし、自分に何とかできない事実を事実として受け入れるっていうことも必要なんですよね。
自分に起こること出来事とかですよね。 私自身も「なんでこの親の元に生まれたのか?」と親を憎み、そんな事を考える自分自身を自己嫌悪して、ふさぎ込む。それをずっと繰り返していた時期がありました。
人のことを 「あの人さえ変わってくれれば」とか、「あの人はひどい、あの人が変わらなくては」と思っても、これもとても難しいですよね 。人は自分自身が変わろうと思ったときにしか変われないものですよね。
起きてしまった出来事とか、事実、あるいは人の言動に対して、なぜそうなんだと、解けない難題を自分で考え、怒っているうちに、ただただ時間が流れていきました 。
無力感もあったし、自分の自己否定にも繋がって行きました。そして身体的にも無気力になっていったんですね。
事実を事実としてまず見る。受け止める。ということをすることをまずはしました。
その上で、「今の自分にできることは何かな?」と自分で選ぶ姿勢になれたと思っています。
どんな時でも選べるって言う事に気づけるということが大事だったようです。
事実は変えられなくても、その事実を受け止めたら、事実のとらえかたは自分で選ぶことができたんですね。変えることが出来てきています。
そのように捉えると、自分のできることを、選んでやっていくということが徐々にできたんですね。
私自身も自分の辛い体験を通して、 この状況を受け入れた時、 自分のできることは何か。自分はどうしたいのか。と自分自身に優しく問うこと、対話をしてあげること。自分自身を大事にしてあげること。いままでごまかしてきたそんな意識に向き合えるようになったんですね。
私自身の話で言うと、 そのポジティブシンキング・肯定的思考・前向きに考えれば良い。というようなことだけでもなかったんですね。これは個人差があることだと思います。
そうすると、否定的な自分の感情を許せないとか。認めないで抑圧してしまう。ということにもなると思うんですね 。
肯定的に考えられる、捉えられるようになるには、それなりの過程を経験することが必要なんだ。と私は経験から感じています。
抑圧してしまったことで、身体に出てしまうということもありますし、無理に我慢することが体の免疫力を下げるということも実感しました 。
ただ、その感情が溢れて受け止めきれないっていうこともあると思います。
そういう時は、何らかの形でその自分自身のエネルギーを外に流し出す必要もあると思います。
絵を描く、大声で歌う、叫ぶ、身体を動かす、人と話す、文章に書く、それらを安全安心な形で、感情に浸ってそのエネルギーを発散するっていう事ですね。
それがおさまってきたら、やっと事実を事実として受け止めやすくなったと思ってます 。
私の場合は人形作りでした。
理性では受け止めていても、なかなかそれを実行できないんですよね。
身体のレベルでも、本当の意味で泣いたりとか、身体を動かして、あとノートに思いのたけを思いっきり書くとか。
そういう時期も必要でした。
その感情に浸ってから、やっと少し離れてその「感情に寄り添う」事が出来るようになったんではないかと思ってます。
無理やり前向きに捉えるように理性で封じ込めるんではなくて、感情に浸る時期も必要になるとは思うんですね。
ただその人によって段階がありますので、感情に同一化するのが危ないという時もあります。
そういった場合は、専門のカウンセリングを受けるとか、セラピーも必要だと思います。
私にとっては、五感を通じて、まずは自分がどんな時に悲しい、苦しいとかんじるのか、それはなぜなのか。また、どんな時に嬉しいとか気持ち良いと感じるのかそれはどんな状況なのかを感じてみることでした。
今回は私自身の体験を中心として、私の個性の主観でレターへの返信のお話させていただきました。
今回はゆでたまごさんレターありがとうございました。これからもラジオ聴いていただけると嬉しいです。
またいつでもレターをお待ちしています。
今回はレター返信の記事を書いてみました。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました(^^)
それではまたお逢いしましょう。
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