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ずたぼろでも、書く。
文章にしたいと思う感情の源泉が、いくつもある。
あるにはあるが、実際に文章にするまでの道のりがながい。
そんなわけで、下書きが増えいくのを、ぼんやりと日々眺めている。
〇
何かに挑戦するのを恐ろしいと思ったり、今の自分の手元になにもないことを恐ろしいと思ったり。いきていると、怖いことがいっぱいある。
自分がいつからこんなに憶病になったのか、まったくわからない。
母が「普通」という言葉を何
『不正解』で出来ている。
例えば何か伝えたいことがあるとして。
どうやったらこの気持ちが、私じゃない誰かに届くのだろう。
手を離した瞬間、あてどなく流される風船のように届くかわからないものを、それでも届けたいと願う。
けれど上手くいかなくて、いつだって白紙の前で、私は立ち往生している。何を恐れているのかと問えば、きっと私が恐れているのは『間違える』ってことなんだと思う。
〇
格好よく生きたいなとそう願いな
トウモロコシマフィンの日。
嫌なことがあるとお菓子を作りたくなる。そんなよくわからない癖が身についてしまったのは、いつ頃からだったろう。
〇
昼間に、古い知人からLINEがあった。幼い時から通っていた公文式の先生ご夫婦。アルバイトを欲しがっている知人がいるからやってみないかという内容の短いメッセージに、昼寝から起きたばかりのぼんやりとした頭で返信した。すぐさま、電話が掛かってくる。
液晶の向こうから元気な声で、ぜひ手
レンズ越しに見ている。 (雑記)
光が、物にあたる。反射し、私の瞳へと届く。
角膜を通り、水晶体で屈折し、硝子体の奥で像を結ぶときには、世界は逆さになる。それを、脳みそが修正する。
視覚の仕組みをしった日のことを、鮮明に思い出せる。
小学生のころ、夕食後に祖父の膝の上でテレビを見ていた。
テレビでは、私が今『見ている』と思っている映像ですら、脳みそが処理した後の世界なのだと話をしていた。
頭を強く殴られた気持ちになったことを、
竹林のささやきに耳を澄まして
獨り坐す 幽篁の裏
琴を彈き 復た張嘯す
深林 人知らず
明月 來たりて相照らす
王維の竹里館を思い出すとき、同時に私は夏目漱石の『草枕』を思い出す。本編に引用もされているこの詩は、静謐なイメージと遁世的な余韻を残して、好きな漢詩のひとつである。
〇
幽篁(ゆうこう)に佇む自分を、目を閉じて想像してみる。
あたりは一面、竹やぶ。ざわざわと、天の方で笹が触れ合う木ずれの音。どこか雨音のよう
やりたいの残骸。(雑記)
『これをやりたい』から行動に移すまでの距離が異様に遠い。そのためか、部屋の中にはこれをやりたいの残骸がそこかしこに転がっている。
まず、マスクづくり。やりたいというよりやったほうがいいな、なのだが、幸いなことにコロナ騒動以前から買いだめしていた在庫がまだ余っており、材料だけそろえて見たものの『急ぎ』ではないグループに脳みその中で分類されてしまった。
それから、手芸全般。全般というあいまいな言葉を
トリミングされた人生の破片を集めて、それでも愛してよ 。
他人に興味はない癖に、他人に興味を持たれたいと思う人間のどうしようもない性はどこからくるのだろうか。
朝の静かな土手の上を歩き、旋回する燕の軌道を追った。
足元に繁るミントの群生に、小さな宝石をみつけたようにうれしくなる。人生のほとんどを過ごしている街なのに、案外知らないことは多い。古い路地には金柑が実っていること。カラスノエンドウを領治争いをしている野生のラベンダーのこと。目の前を横切る、まる