病気になってよかったなんて、ちっとも思えない。
「怒ってるのね」
先生が、眼鏡を上げながらそう言った。
そうか、私、怒っているのか。
目から勝手にあふれる水分が、マスクへと吸い込まれていった。
〇
「怠けてないで、学校へ行きなさい」
何度も、言われた言葉だった。
だけれども聴いてよ、母さん。手足が重くて、身体はだるくて、心臓は早鐘を打っている。ベットから出るとめまいがして、部屋から出ると吐き気がする。家から出れば叫びたくなるし、元気な人を見ると、私は泣きだしそうになるんだ。
それでも、怠けているってことになるのかな。
〇
はじめて学校を長く休んだのは中学一年生の夏休み明けのことだった。夏に、全身麻酔の大掛かりな手術をした、その自宅療養でひと月。
その夏の間に、私はいくつかのことを学んだ。まず、夏の富士山はほとんど雲を被ってること。明け方は、綺麗に姿を見せると言うこと。静岡には茶葉を使ったコッペパンがあるということと、病院というのは退屈な場所だということ。売店にいくら美味しいミルクフランスが置いてあっても、毎日行けば飽きてしまう。
それから、全身麻酔は一瞬で意識が飛ぶってことと、全身麻酔明けの意識は朦朧としていて、永遠に続くのっぺりとした悪い夢のような時間だと言うこと。胃になにもないと、薬のせいで緑色の吐瀉物を出すと言うこと。
皮膚移植をすると、その部分は大きくて赤黒いカサブタができるということ。神経は一度切っても繋ぎなおすことができるってこと。
その夏の間に、私が失ったものもいくつかある。例えば、左腕の神経を一度切ったから、あれからずっと左肩が凝っている。左耳の後ろは移植した皮膚で禿げていて、右足の付け根には、移植用の皮膚を取った傷が残っている。
だけれども、なにより。私が失って惜しいのは、あの、元気な身体だった。
〇
癌というのは、厄介だ。
摘出して『はい終わり』というわけにはいかない。
最初のうちは月に一度、静岡の病院まで検査をしに行った。それから、三カ月に一度の抗がん剤治療を全部で三回。それが終わっても、定期検診は続く。手術が終わって一年もすると、静岡にはいかなくなった。代わりに、近くの大学病院で、CTやMRIを取り、皮膚移植をした部分に皮下注射を打つ。
皮下注射が痛いってことも、癌になって初めて知ったことのひとつだった。
朝一番に、病院の整理券を取る。大学病院はいつも混んでいて、朝一番に行こうが何をしようが、待ち時間がある。ぎゅうぎゅうに人が押し込められる、空気の淀んだ待合室で我慢を続けて、ようやく呼ばれて、注射を打たれる。喉の奥に力を入れて、声を出さないようにする。全部で三か所、祈るような気持ちで終わるのを待った。
それから、バスへ乗る。
車内の独特の匂いのなか、窓に頭を付けて目をつむる。必ず、そうしていた。さっき打った皮下注射の副作用で、熱が出る。それから気持ち悪くなる。それでも、バスに揺られる。なぜって、簡単だ。午後からまた中学校へいくためだった。
「副作用で、熱が出るから、休みたい」
「熱が出たら保健室に行きなさい、怠けないで。勉強についていけなくなるよ」
何回と繰り返した、母との問答。嘘つき、私が成績良いこと知ってるくせに。一日学校を休もうが、大したことない。それより深刻なのは、私の身体。もっと深刻なのは、心だった。
何度伝えても、理解してくれなかったけれど。
〇
元気な人がうらやましかった。
いつだって、うらやましかった。
私にはない、その身体。私にはない、その体力。
私だって、貴方たちみたいな元気があれば。毎日部活動に精を出して、その上勉強できる体力。毎日大学の授業に出て、土日はアルバイトができる体力。
それがあったら私だって、私だって。
〇
「世の中には、競争的なことが全てだって人もいます。そういう人は、悪気があってそう言っているわけじゃないの。」
先生が、椅子に深く座りなおしながらそう言った。
このメンタルクリニックに通って、気が付けば一年になろうとしている。一年前から、私は少しよくなったらしい。確かに、大学を前にして過呼吸で倒れそうになるようなことは、なくなっていた。
そうですね、と曖昧に返答をした。
「そういう人たちも、いるんですよね。貴方と違うだけ。どうかな。どう思いますか?」
どう思いますか。
どう。どうって、なんだろう。
「……うらやましいなって、思います」
一年前と違って、先生の机にはアクリル板が置かれていた。建てられたアクリル板で、少しだけ屈折した向こう側をぼんやりと眺めながらそう言った。
「彼らには、競争できる身体と、環境と、体力があった。羨ましいなって思います。私が失くしたものですから。どれだけ欲しくても、手に入らない。」
あっ、と思ったら、目元に塩水が溜まっていた。水分と塩分を摂取しなきゃいけない季節なのに、分泌してどうするんだって、心の片隅で笑った。せっかく、新しいカーキのアイシャドウを付けてきたのに、台無しだった。
「彼らは、わからないんです。元気じゃない人がいるってこと。体力がなくて、生きるので精一杯の人がいるってこと。その人たちから見たら、私は怠惰で、怠けていて、さぼっているだけなんです。私も、あの人たちくらい体力があったら、比べられないくらい遠くへいけるのに。私にはないんです。ある人には、わからないんです。羨ましいなって、そう思います」
先生は、私が行ったことを電子カルテに打ち込み、一度顔を上げて眼鏡を直して、
「怒ってるのね」
そういった。
涙がマスクに沁みるのを感じながら、自分が怒っているんだって、初めて気づいた気がした。
〇
病気になってよかったって、そういう人がいる。
悪いけれども、私はちっともそうは思えない。
どうしたって、私の『病気になってよかった』は負け惜しみになるから。
もし私が、元気な身体を満喫した後に病になったら、そう思えたのかもしれない。
「本当に大事なものに気づけました」とか。「支えてくれた家族に感謝します」とか。「大切な生き方を見つけました」とか、言えたのかも。
だけれども、私は元気な身体を知らない。元気な身体で送る青春をしらない。流す汗を知らない。頑張れる身体を知らない。
ずるいよ、ずるい。皆知っているのに。アルバイトに明け暮れる日々とか、部活と勉強に力を入れる日々とか。皆は経験してるのに。
バスに揺られながら、熱と吐き気でぐらぐらしながら、それでも学校へ行かされた時の、あの劣等感を思い出す。どうしようもない羞恥心。皆は授業が受けられる身体なのに、私はベットで横になっている。
それも、自室のベットじゃない。保健室のベットで。優しくされたかった。理解してほしかった。『しょうがないよ、病気なんだから』って、言ってほしかった。それだけなのに。
〇
ひどいコンプレックスを抱えて、今日も生きている。
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