大所帯のアイドルの日向坂46は、表題曲に参加するメンバーを2期生・3期生にして、1期生は表題曲に参加させずに別のユニットにして、4期生も別のユニット(名称はいわゆるひらがなひなた)にすべきだと思う。そうすることでバランスが取れる。大舞台では一括りに日向坂46として出場すればいい。
乃木坂46の最新曲で山下美月がセンターの「チャンスは平等」が不評だという。MVの再生回数でもアンダー曲に抜かれた。今回は3期生の全員選抜だったが、私はエース堀未央奈の卒業の際に2期生の全員を選抜にしなかったため、不満を抱いた。この表題曲が史上最悪の評価ならば報われるかもしれない。
乃木坂46の2期生は2013年から2023年までの10年間にアイドルとして活動したが、思い通りにならない状況だった。複数の要素が絡むことで壁ができて、応援していた側からしても挫折を味わった。私は乃木坂2期生を紫紺組というように名付けたい。紫紺の色には最上級という意味があると思う。
乃木坂46の2期生の鈴木絢音が卒業して、今日で1年になる。鈴木絢音の卒業により、10年にわたり存在した2期生は消滅したが、最初から最後まで冷遇された形になった。最近でも肩透かしにあった感がある。アイドルとして活躍した乃木坂2期生の名誉を回復するためにはどうすればいいか考えている。
鈴木絢音がいることは、乃木坂46には良心があることを表していた。まろやか隠し味噌と例えられた。卒業して1年が経過したが、その思いを受け継いでいる者はいる。しかし、2期生が置かれた過去の苦悩は忘れられた。そのため、未熟な他期生のヲタのいがみあいが起きる。私は2期生の功績を広めたい。
乃木坂46の過去の話を聞くと、2期生はなぜ乃木坂の中心になれなかったんだろうと悔しい気持ちになる。省かれることが何度もあり、存在しないように扱われたことが多かった。非正規雇用で会社に入って、最初から最後まで恵まれない状況と同じだ。乃木坂2期生が正当に評価されるために何かをしたい。
日向坂46は、私にとってはアイドルの最後の砦だった。他所と違い大所帯でも全員が前線で活躍できるグループだと思っていたからだ。しかし、その希望は潰された。昨年3月に全滅した乃木坂46の2期生のように、運営側が大切なことや人を切り捨てるのであれば、応援する側が切り捨ててもいいと思う。
文化といえば、演劇は小学生の頃にした記憶がある。ドラマに関しては、20年前の夏に「ひと夏のパパへ」という作品を視聴して特に深く見るようになった。2年前からは、2期生だった人が出演した舞台を何度か鑑賞したことがある。演技の幅は幅広くて、俳優は私にとっては憧れを抱く対象になっている。
乃木坂46の2期生は時代に恵まれなかったのだろうか。34枚目のシングルの選抜発表があり、3期生・4期生・5期生からそれぞれ1人ずつ初選抜になった。2期生は、選抜入りは半分しかできなかった。最初から最後まで差別をされた様な形だった。だから私は、アイドルの分野で消化不良になっている。
乃木坂46の2期生も今の日向坂46(特に4期生)も、置かれている境遇が似ている。他から馬鹿にされる。その度合いは激しい。運営側が冷酷な仕打ちをした。反撃という形で冷たい態度の扱いに対する仕返しをすることを渇望している。自尊心をより持つためには、環境を変えることが重要になると思う。
乃木坂46においては、2期生に比べれば3・4・5期生なんて甘っちょろい。それは、卒業時の待遇の差にも表れている。一昨年2期生を腫れ物のように相次いで追い出すようなことをした。私からすれば、2期生が1人になった昨年夏からとても窮屈だった。だから、後輩で卒業する者はお気楽で羨ましい。
乃木坂46の3・4・5期生は、1・2期生がつくった基盤による甘い汁を吸っているだけだ。だから仕事の本番でも居眠りをしてやる気のない者や障害者差別発言を平然と行う者のようなおかしい行動が発生する。それらが優遇されることで、印象全体が悪くなる。私にとっては乃木坂46は過去の存在だ。
乃木坂46の2期生はそもそもアイドルになる資格がなかったのだろうか。非正規の形態で入り、最初から最後までボロ雑巾のように扱われた。飛躍の機会は何かに潰された。私もわからないが、正規と非正規の基準は何だろうか。また、手柄になる部分を横取りする奴は絶対に許さない。ましてや応援しない。
私は1999年から2003年までは学校生活・高校入試に失敗して、2009年から2013年までは新卒・既卒3年以内の就活に失敗して、2019年から2023年までは応援していた乃木坂46における2期生というアイドルの飛躍に失敗した。現在は日向坂46を応援して、気持ちを切り替えている。
私は今年、3月28日をもって乃木坂46には見切りをつけた。10年前の最初から最後まで、2期生に醜いような仕打ちをしたからだ。4月以降は、日向坂46に入った。ひな誕祭の頃には勢いがあったが、その後は誤算が続き、紅白出場もできなくなった。また、差別主義のような態度の櫻坂46は嫌いだ。
乃木坂46の2期生は運営側には軽視されていたが、後輩には多岐にわたって慕われている。だからこそ、伝説のような存在になっているのかもしれない。私が2期生に対する不遇にすっきりとしない理由は、私の人生が愛情から遠い内容になっていて歪むような要素があるからだろう。私自身は前に進みたい。
乃木坂46の3・4・5期生は、2期生を追い出して掴んだポジションはおいしいか。2期生は世代交代と声高に叫ばれて追い出された。3年前の3月には8人いたのに、2年前の8月には5人・1年前の8月には1人になり、今は誰もいない。2期生の敗北は私における20年前の高校入試の敗北に似ている。
私のように新卒で就職できなかった者に対して、正社員の給与と同等の金額を支給する仕組みがあるべきだ。学生の際に貴重な時間や体力を割いて苦労したのだから、その分報われるべきだ。また、乃木坂46の2期生に対しても運営は不手際の責任を取るために機会の損失分の金を支給すべきだと考えている。
乃木坂46の2期生にはシングル表題曲のセンターに立つとかフロントで輝くとか、アイドルとして実現したかったことが多いだろう。10年前より都合のいいだしのようにされた。2期生を最初から最後まで排除した乃木坂46なんて潰れればいい。そして、無念の思いを日向坂46の2期生に託したい。
私も乃木坂46の2期生も、所属先で覇権争いに敗れた。そのことに対しての憎悪の感情は消えない。後悔しても時は戻らない。他人の状況が絡むため、自分だけではどうにもならないことだろう。集団や組織の意向の変化により悪影響を受ける結果になったが、人生における次の段階に進むうえで活かしたい。
私は35歳だが、2010年に社会に出てから正社員になった経験が1度も無くてフリーターのように生きてきた。そのため、反骨精神を持っている。今の状態を続けるのであれば、自由を貫くことになるのだろう。乃木坂46の2期生も、不良債権のように扱われたかもしれないが反骨精神で戦ったと思う。
集団においては本来、1期生の主力と2期生は対等な関係であるべきだ。そのような形が健全である。乃木坂46はそれができなかったが、日向坂46にはそれができている。乃木坂46は2期生を大切にしなかった。意図的な偏見があったとしか思えない。日向坂46が何十年も続くグループになればと思う。
乃木坂46は2期生を有効活用できなかった。2期生自体を有効活用しなかったのは乃木坂46だけで櫻坂46や日向坂46とは対照的である。存在を黒歴史にしたがっているのかもしれない。非正規扱いの下で活動辞退になった者はどうしているのだろう。機会を失った分を挽回できる仕組みがあればと思う。
乃木坂46の2期生は、1期生にも3期生にも4期生にも都合のいい踏み台にされた。叶えたい思いは何度も踏み躙られた。選抜や前面からは悉く締め出された。私も家庭崩壊や経済不況の際に都合のいい道具のように利用された。どのようにすれば損失した分は満たされるのだろう。ずっとスッキリしない。