政治や保守の高尚な話も、自由やレムリアを掲げる精神的な革命論も自分の大切なものの感覚には縁遠いと感じた ネットの世界にある団体や会はどれも観念が前に出やすく、スピードも速くてとても追いつけない 追いつけられず、待ってもくれないものについていこうとするのはただ辛いだけだと思った
無力である事実が人間の反省と再出発のカギだと考えている自分にとって人間には力が備わっている、目覚めさせればいいという意見は縁遠いと感じた どちらも人を救おうという点では一緒なのか?整合性が確認できなければあくまで予想でしかないが 才なき人の微力が輝く瞬間の感動は共有できないのか?