立場とか肩書きには興味がない。 地位や名誉もなくてもいい。 って言いながら、 なまじプライドが高いので、 格付けされるとチクショー! って思ってしまう。 もっと自分という人間を 小さく、低く見積もって、 謙虚に生きていきたい。 雨ニモマケズのように。 サウモノニナリタイ。
プロとアマの差異を示す尺度の一つは「金銭的対価の有無」だが、これは金銭授受行為が職能や信用を担保する証明となり得るからだ。すなわちプロ同士の契約は立派な「商取引」である。 【“自称プロ”は趣味人】プロフェッショナルとして一流を生きる https://note.com/taichi71/n/nde53fc4239f2
海外では複数の職歴や役職を明示する「スラッシュキャリア」が主流で、彼らは「スラッシャー」と呼ばれる。また肩書きにも対外的なものと、自分の中だけで名乗るものの2種類ある。 いずれにせよ実用に資する限り、肩書きはいくつあっても困らない。 https://comemo.nikkei.com/n/n37705b9d026f
私は今の大学は傲慢だと思う。オンライン授業で頭がいっぱいで対面授業をロクに再開させる気もないのに学費は高いままだからだ。しかしこの国の社会は肩書き主義のため偏差値が高い大学ならばまともに授業をせずにいい加減でも受験生がいる。私は肩書きに関係なく社会で成功できることを示したい。
プロフィールに、あこがれと期待を込めて、肩書を書いた。 そうしたら、それが時に鎖になった。 なんてこともない、私は私のままだった。 私は肩書を並べるのをやめた。
天文3年(1534)9月3日は近江に逃れていた第12代将軍足利義晴が7年ぶりに入京し建仁寺に入った日。後ろ盾の細川高国が細川晴元勢に敗れて近江に逃れて以来。晴元は堺公方を擁立するも内紛により義晴と和睦したため帰京が実現した。この後も義晴は細川氏の内紛で何度も京から離れることに。