『怒るのは愛情の裏返し』は、怒りの正当化(堕落性) 怒りは愛を求める行為 興味ないのはもともと縁がないこと 『イカサマな愛』の反対が無関心なら、当たらずとも遠からず 『絶対的愛』の反対など存在しない 『絶対的愛』に裏も表もない
→私も昔はなぜ?と理不尽な人間たちに対して絶望し憤怒し悲しくなり無念を感じました。今は全く何も感じません。無視、です。年齢を重ねても精神性が低い人には精神的に成熟する可能性はないです。あらゆる人間と関わって、わかりました。そしていちいち自分が傷ついたり悲しむ必要はない→
いま咲く花たち…2023.9.13 花言葉とひとこと イエギク 高貴・高潔・高尚・私を信じて・真の愛 アンゲロニア 可憐な恋・遠慮なく
真の愛に触れた時 とめどなく涙が溢れてくる こんなにもこの世界は美しい この美しい愛を 溢れる愛を 魂に届く愛を 何よりも大切に生きていきたい
こうした選り好みのあらわれのはげしさは、動物的個我のエネルギーを示しているだけである。ある人々を他よりも好む情熱のはげしさは、誤って愛とよばれてはいるが、そんなものは、真の愛をその上につぎ木して実を結ばせることのできる、野生の若木でしかない。 トルストイ『人生論』第二十三章
真の愛は常にその根底に個我の否定と、そこから生ずるあらゆる人に対する好意を有しているものだ。この全般的な好意の上にのみ、……真の愛が育ちうるのである。……こういう愛だけが、生命に真の幸福をもたらし、動物的意識と理性的意志との外見上の矛盾を解決する。 トルストイ『人生論』第二十四章
ツインレイの人生は 自身のカルマ、先祖代々受け継がれてきたカルマをも解放し、 それらを超えてゆく。 身を粉にしても夫や家族を支え続ける人生、 自分という大切な存在を犠牲にして周囲に尽くす人生、 世間一般の女に対する概念、これらをすべて覆し、 ただ一人を愛し、愛され続ける人生。
ツインレイの愛は未知の創造。 自分の想像する世界とは別のもの。今、まさに私は数年前には想像しなかった現実を生きている。私を含め周囲の誰もが予想しなかった現実。 運命の人だと思い、20年近く連れ添った夫と離婚れること、そしてこれから新たなパートナーとの人生を創造していく。