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その思想主義と承認欲求を捨て、何者かの支配の檻を抜け出し逃げ、永遠の自由を手に入れる
お金とはそれほど重要なものじゃない、それよりも大切なのは愛なんだよ間違いなく。人の存在が大事だから社会と言うものが成り立ってるわけで、信用や責任、許しや思いやりとか、そんなことがないと生きていてもつまらないよ。本当の愛が無ければ、ただお金を稼ぎ資産を増やし積み上げたって、虚しいだけなんだ、誰しも。
でも責任責任とかばかり言うのも、愛ではなくて強制になる。自らの自然な思いで行えるような気持ちになるのが大事で、そのために必要なのが人を思いやる感情を持つこと、その人の身になって「自分だったらこんな面倒なことやりたくないだろうな、だったら無理強いなんかできない」、って思うこと。多くの人がそれをできたなら、人はその思いやりに気がついた時、逆に何かしてあげたいって思うものなんだ。それがお金とする物々交換が成り立つよりも、もっと前からあった信用と信頼関係、人間の本能が第一となる自然法、許しと優しさ、愛だった。
お金のために生きるってつまらない、それだけのために生きるなんて、本当に虚しい。
お金を欲しいとする感情と、人気やステータスが欲しいと思う気持ち、色欲に負けてしまう感情、そんな事の繰り返しの人生なんて、今を生きてるとは言えない。だから誰でも良いから、だけで誰かを求め、お金のために結婚し、お金のためだけに生きる。本当にそれは人の人生として正しいことなのだろうか。
誰でもいいからになると、無理矢理相手を愛すると言うことになり、それは純粋なものじゃない、偽物になる。偽物だけど愛は芽生えるとして我欲を貪る。それもまた虚しい、本当のものではない偽物で、少なくとも自分は満足しないし妥協はできない。
妥協なんて言葉もない、本当の愛だけを求めてこの世に産まれた。いくら探しても見つからないキラキラと光るものはそう簡単には得られない。どんなに富を持っても決して買えないもの、手に入らないもの、それが愛する人からの愛、愛する人への愛。
承認欲求激しい陰謀論者は、今も常に誤謬を広め続ける。浅はかな認識で物事を判断してこれが絶対であるとする憶測や推測の認識を事実であるかのように広めようとする。
自身がアポフェニアやパレイドリアのような現象によってその認識が絶対であるような思考をし、更にエコーチェンバーによりファシズム化している事実に気がつけない。
アメリカ民主党がディープステートとするのは、自らの権利と人権、自由意思と多様性への攻撃となり、民衆である自らを攻撃しているのと同じで、それは民主主義、我々自身の権利への攻撃になる。その心を操られているとする事実にも気がつけずに頑固に聞き分けもなく、無駄な承認欲求によってその誤謬を強引に広めようとする。それが正しい、真実だと認めさせるためにマスメディアまで批判する。
そんな承認欲求など何の意味もない、そんなもので真の愛など手には入らないし洗脳するための陰謀論プロパガンダを広めてるのと同じで、それはカルト宗教、カルト集団の行いとまったく同じこと。
思想主義の対立からなる陰謀論など真実になどならない、陰謀論はいつまでも永遠に陰謀論である。どちらが正しいなんて無くて、認識を広めそれを認めたなら、それが人々にとっての正しいになる。殴った者が悪い、いや殴られるような態度をとった者が悪い、それを無限に言い合い続けるなら無限に対立が消えることなどない。それが善悪の知恵でありウロボロスに陥る2匹の蛇による自滅行為。だからその二極の獣を拝まぬことが大事だと預言者は言っている。
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認めさせる事は愛ではない、属させること従わせる事は愛ではない。思想主義に引きずり込むのは他者へ対する思考の恥辱となる。
賛同されることはそれほど嬉しいものか、自分自身の愛を深めるために必要なものなのだろうか、それに意味などあるのか、その陰謀論の承認欲求によって得た数字のステータスなどで、その魂は眩きままの光になれるのだろうか。
陰謀論や政治論、思想主義に従わせようとするのは、それは支配であり愛ではない。どんなに仲を深めても互いの支配の中には真の愛などなく、そこには相手を従わせようとする支配欲、我欲しか存在しない。だからカルト宗教、カルト集団のアメーバの一部になると金銭欲や色欲が渦巻く獣の群れとなるだけで、眩き魂とは程遠い汚された魂となり、混沌とした冥界による虫に貪られる魂となる。
眩きものは眩きままに、崩れ行くものは崩れ行くままに。
何かの集団、思想主義に属しているなら、今すぐそこから抜け出す必要がある。その閉じ込められた檻から抜け出して、逃げ出すこと。後ろを振り返らず、真っ直ぐに前だけを見て、先に見える光だけ見つめ、やがてその十戒の石板の片割れと融合する。
大切なのは、自分が最も行きたい場所へ帰ること、屈強なる心を持ち支配されずに汚されずに自分を守り続け、自分を縛りつける鎖を引きちぎり、追うものを振り切り逃げ、本当の居場所へと戻る、とても暖かくて幸福な場所、楽園へと流されるように戻り行く。
そこが、本当の居場所であり2つの絆が重なりあう誰にも触れられない、邪魔をされない楽園、愛の国。愛とは支配ではない、誰にも邪魔できないこの世で最も価値のある魂の自由意志と幸福。
その場所こそ永遠なる幸福と命がある天の国。