なかなか勉強時間が取れず苦戦しましたが、放送大学で今学期履修の「人文地理学からみる世界」も何とか単位が取れました。皆様のおかげです。ありがとうございます。
皆様、あけましておめでとうございます。本年も、どうぞ宜しくお願いいたします。
どちらかといえば筆者は、神秘とか奇跡は信じるのである。信用できない事があるのは、「神秘や奇跡に対する人間の解釈」だ。人はそうした現象に過度な意味づけを行ったり、あるいは意味を固定して教条的に考えてしまう。明恵上人はそうした際に実に自然に振る舞ったと、河合隼雄も書いている。
カトリックの聖人・聖フランチェスコと鎌倉時代の僧侶・明恵には共通点があるという。この事について、過去に河合隼雄『聖地アッシジの対話』という書籍を読了していた。本日ふいに思い出して手に取る事に。カトリックにも明恵にも、どこか不思議なご縁を感じる。
先日フランスの方にお会いした。初対面だがフランス人らしく理知的な方で、日本人の自分とは対照的。コミュニケーションは英語であったが、筆者のは錆びついて目茶苦茶だったのが残念。向こうはこちらに、正反対の印象を抱かれたことだろう。だが楽しく過ごさせていただいた。またご縁がありますよう。
パニック発作で搬送された事が複数回あるが、発作直後でも身体に痕跡が残らないんですね。後から検査しても何も出ない。この事を、せめて搬送先の医師がご存知なら良かったのですが、そうではなく「泣きっ面に蜂」で帰宅。ご存知の医師も結構いらっしゃるので、どうかどうか勉強なさってください。
何かで無意味に迷った時のために、スマホにサイコロのアプリを導入。例えば、奇数なら牛丼・偶数なら天丼とか。あと「ケーキは1がでた時だけ」とか、使いよう。コイントスより便利だし、アプリならかさばらないかと。以前は本屋の店員さんと購入をジャンケンで決めていたこともある変人ですが、自重。
インフルエンザでダウンしているが、友人がスポーツドリンクなどを差し入れしてくれたのが地味に嬉しかった。皆様もお気をつけてお過ごしくださいね。
ちょくちょく使うハッシュタグだけど、「この経験に学べ」ってエラそうだよなあ(笑)。
民俗学などで「アラハバキ」という謎の神がいる。神話の長髄彦と同一視する説もあるようだが、名前の漢字は「荒覇吐」「荒脛」など諸説あり意味はわからないようだ。筆者の素人考えでは「顕は脛」の意で、スネが露わであるということではないのか。これなら長髄彦と同義と理解できよう。
南方熊楠は晩年になってもどの本のどのページに何が書いてあったか、およそ正確に言い当てていたらしい。いわゆる映像記憶は、普通の記憶とは脳を使う仕組みが異なるのだろう。熊楠はページ数や内容、字体まで「撮影」して脳内のメモリに保存していたのではないか。記憶の質が違った可能性が高い。
マクドナルドはセットを頼むとポテトかナゲットかを選択するが、両方とも食べたいときがある。「半分ずつ」を頼める選択肢があるといいなあ。何とかなりませんでしょうか⁇
私は分類好きの「分類男」だが、分類はあくまで本質を把握するための手段に過ぎない。概念やカテゴリ分けが何もないと、ほとんどの物事は知覚できないだろう。だから道具として、分類を用いるのだ。だが時々、それがただの手段ということを思い出す必要もある。忘れてしまうことも、とても多いけど。
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という言葉がありますけど、あれは自然に成熟して自然に謙虚になるのが理想なんでしょうね。そうだとすると、子供さんに小さいうちから強制的にペコペコさせるのはあまり良くないんだろうな。ダメなことは「ダメだよ」と教えるべきだけど。
店舗に並ぶ予定の私家本第二版。既にお買い求めくださった方がいらして、感謝感激です。50ページ少しのボリュームなのに600円+税という価格設定。かえって手に取っていただけるのでは、と考えて、あえてです。初版と同じく兵庫県西宮市甲子園近くの、「slow MoTioN」にて販売します。
昨日、最寄りの駅の上空に珍しいものを目撃。撮影のヒマがなくて残念だったけど、真上にコウノトリのつがいが飛んでいた。最初はタンチョウヅルではないかと思ったけど、どちらにしても幸せのシンボルで、なかなか見られませんよね。皆様にも何か良い事が起こりますように。
ある人に「あなたのオヤジギャグがつまらない」と言われたので、ひとつ取り上げて解説してみることに。……結果、爆笑されてました🤣。ありがとうございます。
ごく幼い頃、竹輪をストローがわりにして味噌汁を飲んだことが。子供のやることだから、という反応だったが、ストローが環境問題になるなら応用できる。最終的に食べられる素材にして、味もつけてはどうだろう。プラスチックも紙も消費せず済むのではないか。カフェに竹輪が並ぶ、とは思わないけれど。
ちょっと前に奨学金をもらえずガッカリしてたけど、もらえてたならもらえてたで、色々と無理をしていたかもなあ。私はけっこう、ワーカホリックなところがあるから。結果オーライですね。
アフリカのバイトゴゴという神が登場する神話に、「オナラにより害を受け続けるが気づけない」というシーンがある。「ガスライティング」と呼ばれるハラスメントに酷似しているのが興味深い。日本語でも「煙に巻く」という言葉があるが、いずれも気体が「出所の分からない嫌がらせ」を象徴している。
発達障害を紹介する講座を聴きに行った時、当事者でも支援者でもいらっしゃる講師の方の能力の高さに驚いたことが。講座内容のみならず、質問への臨機応変な回答や共感力に脱帽。苦手を克服できた人は凄いが、努力も並ではなかったようだ。助力を仰げる方々は、かなり運がいいのではないか。
自分の出自について、たいへん意外な可能性が浮上してきた。だがこれまでの人生を振り返ると、思い当たる節がいろいろある。事実は小説より奇なりと思って生きてきたが、これが事実なら尚更だ。過酷な人生ながら、本当に興味深い。
コフートという人が創始した、「自己心理学」というのがある。(ユングの言う自己とは、また意味が違うようだ。)フロイト発の自我心理学に対抗して作られたもので、まだ概要しか知らないが、筆者に適しているかもしれない。もう少し調べてみようと思う。
イエス・キリストが急に伝道を始めたとき、母マリアが人を遣わし止めようとした逸話がある。この時イエスは決然として「私の母、私の兄弟とは誰か」と言ったとのこと。この逸話は日本人的に不可解だったが、男性・父性原理の表れだと考えれば納得できる。平たく言えば、イエスは家族から自立したのだ。
太極拳は「八段錦(はちだんきん)」というのを少しだけ習ったことが。動作は緩やかながら、攻撃のポーズが含まれているのが面白い。適切に攻撃性を出すのは人間として、むしろ自然なのだろう。筆者はあまりスポーツをしないが、こうした体操は向いているかも。心理療法や精神医学でも取り入れては?
人生が仮に一切皆苦だとして、無意味に苦しむのは避けたいですね。無意味な苦しみも多々あるだろうけれど、人格がどこかしら磨かれていると嬉しい。そうなっていると信じて、「種蒔き」を続けられたらと思います。
先月より、作家の谷崎光先生のマガジンを購読しているのでご報告。ご著書の『中国でなもんや商社』(文春文庫)は、過去に映画化されているとのこと。国際的なトピックや、関西にまつわる話もお書きで、異文化を学ぶ一助として楽しみに拝読します!
私自身そうだったと思うが、「人間存在の本質が腐敗する」場合がある。何とかするには生命力を取り戻すしかないが、つまりは心身の健康でもあろう。運動や栄養もある程度は必要だが、質の良い書物や学問に触れること、人徳ある人に感化されることも肝要だ。運の要素もかなり大きいのではないかと思う。
心理学系統のnote記事を読んでいて感じたんですが、自分は良くも悪しくも認知特性が変わってるみたいですね。個性的なのかな。でもそういう人間は実際にいるわけで、「変わった目線」からのものの見方を引き続き発信していこうと思います。
単位の件は置いておいて、放送大学の『人文地理学からみる世界』を学習中。身につきますように。
「メタ認知」というワードを聞くと、「豚ミンチ」に変換されることがある。お腹空いてるんでしょうか。