天正19年(1591)1月22日は秀吉を支え続けた弟・豊臣秀長が大和郡山城で52歳で死去した日。しばらく体調を崩しており前年の小田原攻めも不参加だった。古参の家臣がいない秀吉が出世することを支えた。豊臣政権には欠かせない調整役であり秀吉に異を唱えられる貴重な抑え役だったという。
天正12年(1584)8月11日は大和郡山城主の筒井順慶が36歳で死去した日。信長が上洛した後に臣従し明智光秀の与力に。本能寺の変後に光秀と秀吉両者から誘われ日和見した場所から洞ヶ峠を決め込むという諺がある。実際には光秀に同意するが、すぐに秀吉に恭順して洞ヶ峠には行っていない。