人間の感情には時々矛盾しているものが同居している場合がある うれしさと悲しさの同居。恐怖心と好奇心の同居。喪失感と充足感の同居 対の存在があるからこそ存在していられるものがある。人間の根源ともいえる感情は相反が常にある複雑怪奇で簡単には決して理解できないものである
人間であることと、日本人であることの両方が生きるための基礎になる観念だと思う 人間であるが故の可能性と在り方の多様性を認識しつつ、日本人という先祖から続く血と伝統のつながりで共通の確たる現実を踏みしめる。可能性の広さと明確なつながるによる指針の二つが道を切り開くと思う
「余裕」が旅に出ている間。 必ず「不安」がひょっこり顔を出す。 「余裕」と「不安」はいつでも心にある。 「不安」は常に心のどこかに隠れていて。 「余裕」は心の居心地が悪いと旅に出る。 私たち人間の心はこの2つと共にいる。 どちらも生きるためには必要だから。
疲れきってしまうときがある。 何もできない、何もしたくない。 そんなときが人間には必ずある。 だって人間だから。 生まれた者以上の何かにはなれない。 だから今を受け止めよう。 疲れた〜って言ってもいいんだ。 身体と心を休める合図なんだから。
「人間」であることを受け止めたら。 次は「自分」という個人を受け止めよう。 私たちは「人間」に生まれ、 そして「自分」に生まれる。 私たちは「人間」と「自分」以外にはなれない。 だから「自分」を見つめる必要がある。 受け止めやすいように。 あるがままの「自分」をね。
大丈夫って言いたいよ。 平気だよって自分に言ってあげたい。 安心していいよって。 でも、身体は正直だ。 動けない、ツラい、苦しい。 はっきりと伝えてくる。 私じゃ自分に大丈夫って言えないみたい。 こんなときに小人さんが来てくれたらなぁ。
全てのことに意味がある。 物事は偶然と必然がある。 そう考えるのは自然だ。 しかし、その意味を自分で勝手に決めつけてはならない。 意味に囚われ、怯えてしまう。 意味は自然にあるもの。 そして、コントロールできないのも自然なのだ。
分からないものは怖い。 疑心暗鬼になってしまうから。 分からないのに考えてしまう。 明確な答えを求めてしまう。 そんな自分が嫌。 だけど、それも私なんだ。 私は人間だから。
物事を簡単に結びつけるのは嫌だ。 真実じゃないから。 自分を責めることも嫌だ。 自分を愛することから遠ざけるから。 卑屈になるのも嫌だ。 自分を貶めてしまうから。 気にしていないつもりが気にしている。 気分転換して前向きに進みたい。
本当の自分を知ること。 これは中々につらいものだ。 逃げていた感情と向き合うのだから。 泣いてしまうかもしれないけれど。 その先には必ず本来の自分が待っている。 本来の自分を受け入れることは難しいけれど怖くない。 受け入れた先には穏やかな日々が待っているから。
強い人は傷あとが多い。 困難に恐れず立ち向かっているから。 弱い人は傷あとが少ない。 傷つくことを恐れて自分を守っているから。 人間なら当たり前のこと。 どちらも悪いことじゃないんだ。 私たちが人間である証拠だから。
昔、こんなことを言われた。 「辛いことがあっても、それで死ぬことはありませんよ」 胸にストンときた。 そっか、辛いって感情は認めていいんだ。 物理的に死ぬわけじゃない。 それで何かを辞めても、諦めても。 終わりじゃない。 死んで自分が消えるわけじゃないんだから。
歴史は繰り返す。“ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ(中略)ソウイウモノニ ワタシハナリタイ”。繰り返さない為に。